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砂漠人5

トルクメンサハラの暮らし

   

ありがとうございました

 いよいよ最後の記事となりました。出発前のバタバタで焦っていて、気の利いたことは書けそうにありません。
 このブログはここで終わります。日本でどんな暮らしになるのか、今は想像がつきませんが、なにかつづきのようなことがあるとしたら、インスタグラムにアップロードしたいと考えています。現在使っているインスタのアカウントも、今日で終えます。新しいアカウントは下のとおり。気長にお待ちください:
 また、ハリルの生い立ちを綴るブログ『砂漠人6』は、ハリルが語ってわたしが書いているので、その作業時間が取れるようになったら記事をアップしたいと思います。こちらも、どうか気長にお待ちください。
 それでは、長いあいだ、または短いあいだ読んでくださり、本当にありがとうございました。でも、まだインスタや砂漠人6で続きますよ!

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自宅

  ついに最後の日がきた。何年もかけてようやく過ごしやすくなってきた自宅とも、お別れだ。

玄関を入ったところのサロン

寝室

物置兼作業部屋

サロン

台所

台所

台所

 最後に、家禽小屋から見た自宅と庭。鶏が歩き、犬や猫が遊んでいて、たまにセロリなんかが生えてきた、おもしろい庭だった。アルボルズ山脈が見え、カスピ海が見える、クミシュテペの西の果て。




日本に移住(帰国)します

 もうすぐ七年になろうとしているクミシュテペでの生活だが、ここに来て思いがけず終わることになった。その経緯はここに簡単に書いたけれど、読み落としている人のために、この記事をブログのトップに置いておこうと思う。10月半ばに、ハリルとわたしは日本へ移り住みます。
 『砂漠人』ブログについては、砂漠生活が終わると同時に書くのをやめようと考えている。日本での生活は、「砂漠的」なことはなさそうだし、わたしが働きに出たら時間の余裕もなくなりそうだからだ。けれど、ハリルの一生を本にまとめたいと思っているので、その下書きを兼ねて、記事をアップしていくつもりだ。だからたぶん、ここにいるあいだに終わらないだろう。下書きなので、内容が前後したり色々あると思うけれど、本になる前なのでただで読めます。今のところ、まとめたらアマゾンで自費出版したらいいんじゃないかと思っている。十二年に渡ってブログで書いてきた、ハリルのライフスタイルや思想の源が明らかになるよう、まとめていきたい。そしていずれは、それをトルクメン語に訳して、クミシュテペの人に届けたい。
 結果として、ずいぶんと面倒な夢を抱いてしまった! どうなることやら。

南庭

 双子の子ヤギが産まれたというので、南庭に行ってみた。


 前方に見える大きな倉庫が、南庭の敷地内にある。まわりにポツポツと立つ建物はご近所さんのものだが、もう家畜を売って来なくなった人も多く、あたりは静かだ。後ろに見えるのは、カスピ海の南側に沿って聳えるアルボルズ山脈の一部。アルボルズは、クミシュテペのあるゴレスタン州からアゼルバイジャンの方へ続く山脈である。テヘランへ向かうときは、これを越えていく。


 近くに来ると、ナーセルの長男が羊と牛の群れを阻止していた。南庭では、ハリルが飼料を作り、ナーセルが餌箱に入れている。その作業が終わるまで、羊飼いが家畜たちを外に留めておかおないといけないのだ。甥は羊、牛と順番にうまいことさばいていた。数十頭の動物が弾になってかかってくると、簡単に止めることはできない。鉄製の扉など、牛なら簡単に壊してしまうだろう。

子羊の抱き方がまずいです

 甥は9歳となり、本当に頼りになる手伝いとなった。彼は動物が大好きなのだ。うちに来たときに窓からそっと見ていたら、犬や猫を抱き上げて「僕はお前が大好きなんだよぉ~」と言いながら頬ずりしていて、思わずこちらの顔も心も緩んでしまった。しかし牛のお尻に飛び蹴りをしたりしていたので、やはり感覚は砂漠人だ。

この雄牛がなかよしなんだそうだ



 お目当ての子ヤギ。母ヤギが警戒している。栄養いっぱいのミルクを飲んで、ウンチをしたらとりあえず安心だ。

子羊は4匹いた

 自宅の犬バグティは、ガチガチ亡き後、南庭のボスになろうとしているようだ。自宅を放り出して、南庭にいる時間が長くなった。南庭には、飼い主を失った野良犬が何匹もやってきて、ハリルは結局餌をやり始めた。隣のおじさんに捨てられた犬は、わたしもオーナーの一人だと分かるとすり寄ってきて、撫でてくれとせがんでいた。本当にかわいそうな犬たち。彼らは餌よりも、飼い主が必要なのだ。


 最後に記念撮影をして、庭を後にした。さようなら、牛たち、羊たち、犬たち、猫たち。この景色と空気。

クミシュテペの町に戻る

 帰り道、行きに自転車を停めたあたりで、犬のガラアーラが出てきた。また自転車を停めてひとしきり撫でた後、彼女にもバイバイをした。

がんばってね、賢い犬よ

直前の意外な…

 旅立ちの支度はだいたい整った。出発は、明日だ。出発直前になって、意外な気持ちが湧いてきた。
 おとといだったか、自転車で家に帰る途中、後頭部にボールをぶつけられた。こどもたちが遊んでいて、通り過ぎるときに彼らに冷やかされたので、そのうちの一人が投げたのだろう。わたしはふり返らずに、そのまま走り去った。痛みはまったく感じなかったけれど、もちろん非常に不愉快だった。でもそれをきっかけに、この地を永遠に去ることになることに対する、喜びのようなものを感じたのだ。もう二度と、あのこどもたちに会うことはないし、野蛮な態度をとった町中の人たちともおさらばだ。受け入れがたい異文化とも、さようなら。なんだか清々しい気分になってきたのだった。
 思えばクミシュテペに来て以来、親戚、職人、隣人、いろいろな人間とのあいだでうまくいかないことの連続だった。気の置ける人が一人もいないという状況は、じわじわと疲れがたまる。ここに住んでいた時間の多くは、正常に機能しない家、一向に造られることのない塀、すぐに壊れる諸々、というポンコツな状況で過ごした。そういう環境に慣れることはできたけれど、下らないことにつねに振り回されている感じは拭えない。ここ1~2年は落ち着いていたものの、そんな生活のネガティヴな側面もついには終わるのだ。いいじゃないか。


 二階の部屋のドアを四枚、塗り終えた。自分が使うことも、お客さんを迎えることもなくなったこの家だが、やはり自分の家なので、自分で整えておきたかった。それに、いずれにしてもペンキ塗りは、この季節にやっておくべき家事だったのだ。

寝室

 二つある寝室の窓やドアに、カーテン(白い布)を吊るして外からの光や視線を遮った。昨日の朝、布を12メートル買ってきて、8枚のカーテンを縫ったのだ。カーテンレールも数日前に設置しておいた。

サロン

 サロンの窓二つと、玄関にもカーテンを吊るした。そしてカーペットを戻した。大きなオールドキリムを買ってあったのに、結局これを楽しむこともなかった。

奥が台所

 あとはカーペットの調整など、使う人がやってほしい。敷いたカーペットが歪んでいるように見えるけれど、トルクメンの家はこのくらいの緩さで敷かれているので、わたしも放っておくことにした。
 この二階に住んでいるときは、壁はセメントを塗っただけの部分と白塗り工事が途中のまま放ってある、おそろしく貧しい様相の部屋だった。カーテンも下げてここまで整えたときに、わたしはもういなくなる。なんともいえない状況だが、そうなったのだった。

追記:
階段のペイントは、ついに諦めました!

わたしにとっての砂漠生活とは

 クミシュテペでの砂漠生活は、わたしにとって何だったのか。得たもの、失ったものは何だったのか、ちょっと考えてみた。残された砂漠生活の時間は、あと三日となった。
 失ったものは、ずばりお金と時間だろう。経済的な側面に焦点を当てれば、七年近くになるここでの年月は、マイナス以外の何物でもない(キッパリ)。しかしそれ以外に大きく失ったものは今のところ思いつかないし、お金だって別の国に暮らしていたら、もっと多くの支出があったかもしれない。
 得たものは、大きなところで三つある。一つ目は、健康をすっかり身につけたということだ。クミシュテペは空気がよく、一年中豊かな農産物が手に入り、肉や卵は自家製、魚は漁師から直接買うことができる。最初の三年は牛の搾乳をしていたので、早寝早起きが身に着いたり、筋肉がついたり、健全な生活習慣を体得することができた。
 二つ目は、自然の摂理について、理解が深まったということだ。生物の生と死、これについては日々目の当たりにして、それがどういうことかについて自分なりの答えが出た。生きている限り、死ぬ。生きているものは、死ぬ。死ぬということは、生まれるのと同じくらい自然なことだ。書いてしまえば、どこかで読んだことがあるような文章だが、それに納得することができた。動物についてはとくに、クミシュテペに来る前は想像もしなかった考えも持つようになった。それは、たとえばペットについて。ペットというのは、飼い主がいくら大事にしていたとしても、所詮はその生きものを「おもちゃ」にしているということだと思う。つまり、性的に不能にしたり、家の中に囲ったりすることは、決して犬や猫の性質に沿った処置ではないし、彼らがそれを望んでいるはずもない。やはり人間社会に適応してもらうために、人間がよかれと思ってしている行為だと思う。そのことが正しいかそうでないかは判断がつかないし、状況によるかもしれないけれど、ペットの場合、人間は動物をおもちゃにしているということは、頭のどこかに置いておく必要はあると思う。そういう意味では、わたしも犬猫を半分おもちゃにしてしまい、そして捨てていくことを悔やんでいる。
 得たものの三つ目は、人生に対する態度だ。自分の人生に対して、あまり深刻にならないという姿勢を身につけることができた。英語で "Don't be so serious." とか "Take it easy." という感じだろうか。クミシュテペの人はもう少し深刻になった方がいいと思うけれど、わたしを含めた日本人は、もう少し気楽になってもいい気がする。そんなにまじめに働かなくてもいいし、物事を真に受けすぎな面は緩めてもいい。そう思うようになったので、少し気持ちの余裕が持てたのかもしれない。
 砂漠生活がわたしにとって何だったのか。今この時点で言えることは、これはわたしにとっての "Long holiday" だったということだろう。七年くらいの長い休暇だったのだ。そう思って、日本の社会や仕事に戻るつもりでいる。65歳でリタイアするとしたら、これからまだ二十年近く働く時間がある。二十代前半から働き続けていたとしたら、なんと四十年もの人生を仕事に費やすことになる。そのうち十年くらい、休みをとってもまったく問題ないだろう。むしろ、途中で休むくらいがちょうどいいんじゃないだろうか。仕事が人生(ほかのことは犠牲となる)、これはわたしには到底持つことのできない態度だ。生きているあいだに、味わうことができる大きなものは、やはり自然じゃないだろうか。
 先日、ハリルと一緒に『人生フルーツ』という映画を観た。ある建築家が、山を切り崩した土地に造られたニュータウンの一画に土地を買い、自宅を建て、家族とともに庭を無から小さな森にしていったという暮らしぶりが描かれていた。豊かな日常、自然と人間のあるべき姿を体現しているような人たちだった。まねはできなくとも、お手本として忘れずにいたい人生だ。

ラストスパート

 引越すると決まってから一ヶ月以上あったはずなのに、だらだらと日常を過ごしてしまった。片づけは少しずつしていたものの、あまり力が入らなかった。もっとも、モノの量が少ないので力を入れなくても簡単に片づいたようだが。
 残り5日となった今日、ようやくスイッチを入れ替えた。どうでもいいことに時間を費やすのをやめて、家の整理と荷物のパッキングを効率的に終わらせよう。まずは、やり残していた二階のカーテンレールを設置した。持ち帰る荷物も、パッキングを進めた。

何でしょう?


 刺繍糸はこれだけ持って帰ることに。端切れも含めて重さを量ったら3キロもあったが、このままバッグに入れるつもりだ。こんなにたくさんの糸は絶対に必要ないと分かっているのに、やはり詰めてしまう。しかし他に持ち帰るものを眺めても、すべてがどうでもいいようなモノばかりだ。実家にはあまりスペースがないので、チェックイン荷物の許容量ギリギリを持ち帰る必要はないかもしれない。二百平米の豪邸に二人で住んでいたので、これから大変だ!


 タロ子の息子、ガチガチは大きくなってきた。タロ子・ジロ子にかわいがられ、猫たちにちょっかいを出して過ごし、しあわせに育ったと思う。わたしたちがいなくなった後、彼はどこかにもらわれていくだろう。ガチガチの後ろの方で倒れている猫は、これだ。


 キティは今回、いい母親だった。一日に何度も餌を食べるために家の中に入れてやっていたけれど、それはもうすぐできなくなる。餌は毎日もらえないだろうし、奪い合いに慣れていないので餌にありつけないかもしれない。狩りもできないようだし、キティのお先は明るくない。子猫たちはほかの猫をまねて、なんとか強くなってほしい。

強くなければ生きていけません

プロフィール

イランのトルクメンサハラに移住した日本人クミコです。中央アジアの少数民族トルクメンの夫と、その家族や動物との日常を綴ります。
2006年にスウェーデンで始めたこのブログは、4回引越をして今に至りました。過去のサイトはリンクより閲覧できます。

連絡先:sabakujin at gmail dot com

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