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砂漠人5

トルクメンサハラの暮らし

   

チャウドゥルの配色

先日の配色の答えは、緑でした。
トルクメンの刺繍は、部族ごとに特徴が異なるけれど、それぞれに配色のルールがあるようだ。ヨムートの場合、太い線の内側に別の色で細い線で刺して、色を際立たせることがほとんどだ。チャウドゥルの場合、赤い色の布に刺すので、太い線の内側はあまり刺繍しない。おそらく、刺してしまうと布の面積が減って、色のバランスが崩れるからだろう。
…ものすごくマニアックになってきて、どうでもいいと思う人がほとんどかもしれないが(笑)。


誰でしょう?


ガラジャ(向かいの家がうちに捨てた雄猫)。とってもチャーミング

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刺繍の配色

問題:
次のアンナックの刺繍は、あと一色刺したら完成となります。その一色は何色でしょう? 心理テストではありませんよ。配色の問題です。


答えは完成した暁に!

この模様と配色は、「チャウドゥル」というトルクメンの部族のものだ。クミシュテペ市民のほとんどすべては「ヨムード」という部族なので、地元のものとは色柄が異なる。チャウドゥルの作品を見ると、赤い布に刺繍が施され、赤い刺繍糸は使われていない。これが他の部族と大きく異なる特徴だ。わたしはこのチャウドゥルの刺繍が気に入っているので、真似をして刺してみた。ところが途中で気がついたのは、既婚女性が頭の上にアンナックを乗せるのは、ヨムード独特の風習であるということだ。つまり、赤い布でこの配色の刺繍をするチャウドゥルは、アンナックなど作らないので、これは他に存在しないであろう、ヘンテコな作品となってしまった。

日本にいるあいだはほとんどできなかった、トルクメン刺繍の練習を再開している。さすがにスティッチがそれらしくなってきたようだ。日本に行く際の、またイランに戻る際の飛行機の待ち時間にだいぶ刺したのだが、手荷物として持っていた刺繍針1本と先端の丸まった小さなハサミは、オマーンでもタイでもアブダビでも、没収されることはなかった。おかげで長時間の待ちも、退屈することなく過ごすことができた。
これからできるだけパッマダイザ(義母)のところに通って、バラックをゼロから縫うことを覚えたい。

家畜の世話

ハリルは毎日、朝早く南庭に行き、お昼ごろに戻ってきて朝食をとったら休み、夕方また南庭に出かけていく。南庭には牛と羊がいるので、その世話をしているようだ。ナーセルと雇い人が搾乳や餌の準備をしているあいだ、牛と羊の群れを外に出し、放牧させるのがハリルの仕事なのだろう。


群れのお出まし。手前は賢い犬のガラアーラ(♀)

南庭のまわりは一帯が畑なので、建物もほとんどなく見通しがいい。清々しい空気の中をゆっくり歩きながら家畜を追う仕事は、のんびりして心身ともに効きそう。

ガラアーラの子犬(♀)は牛の群れを追い、誰も教えていないのに、一頭の牛が群れとは別の方向に行こうとしたら、追いかけて吠えていた。

ところで乳牛は5頭いると思っていたら、そのうち1頭は雄牛だった。No.1のこどもではなく、No.5の息子だ。雄なのにどうして乳牛と一緒に囲っているかというと、乳牛たちのセックスを刺激するためなのだそうだ。通常は、雌牛が発情したら業者を呼んで精子を注射するのだが、今回は雄牛がいるので自然交配を試みたようだ。成功したかどうかは分からない。わたしが思うに、発情していたのは雄牛だけなので、それではうまくいかないだろう。


No.4に近づくNo.5の息子。二頭を一時的に小屋に囲っていた

乳牛はNo.3、No.4、No.5を搾乳している。No.4の娘であるNo.6は、まだ出産していないのでミルクは出ないのだ。今日はナーセルがいなかったので、ひさしぶりにわたしが手で搾った。かなりブランクがあるせいかスピードは早くなかったが、ぎっくり腰から6週間、搾乳までできるようになったので満足だ。ちなみに電動の搾乳機は、誰かにレンタルしているとか。高い値段で借りてくれるそうなので、うちはまた手搾りに逆戻りした。

ラクダ

ふと窓の外を見ると、ラクダが歩いていた。ここ一年くらい、クミシュテペでは牛を手放してラクダを飼い始める人が増えているようだ。ラクダは肉もミルクも、牛よりも高く売れるし、牛のように小屋を用意してつきっきりで世話をしなくていいので、有益なのかもしれない。ラクダは飼い主がいても、自分で砂漠へ歩いていって、草を食べて帰ってくる。牛や羊とは、食べる草の種類も違うようだ。


砂漠から町に戻るラクダの群れ(南庭にて)


うちの前にいたラクダ。大きい!


ハジが二頭を追っていた

このハジは、以前からラクダ飼いをしている。一頭のラクダと散歩しているのをよく見かけたことがあるが、その一頭は突然死んでしまったそうだ。今飼っている二頭はとてもきれいなので、若いラクダなのだろう。
ハジとは、メッカ巡礼をしたことのある偉いイスラム教徒の呼名で、トルクメンの場合たいてい白い服を着てターバンを巻き、長いあごひげを生やしている。「やあ、戻ってきたのか!」とわたしに声をかけてくれた。近所の人にもかなり警戒心を抱いているわたしだが、おじいさんにはちょっと気を許してしまう。

日本から戻ってきたら、庭にはたくさん草が生い茂っていた。排水用のパイプを埋め込むためにハリルが掘った穴に、スイカの蔓が伸びていて、花もたくさん咲いていた。


排水溝を埋め尽くすスイカやその他の草


スイカの花

こんなに元気に生えているので、一つくらい実がなっていないかな~と穴を辿ってみてたものの、やはりそんな甘い話はないようだ。と、思ったら!

排水溝から伸びた蔓が、湯沸かし器の方に向かい、そこに実をつけていた。かなり大きくなっている。一昨年はスイカとメロンを一所懸命育てて、ひとつも口に入らなかったというのに、今年は何もしなくても一つ育っていた。複雑な心境です。

 

手さげ

甥っ子用の手さげバッグを縫った。新学期が始まると聞いたことも影響しているけれど、それより自分の手芸用品を整理していて、使っていない材料がいろいろあると思い、断捨離を始めるつもりで縫ったのだった。思えば、スウェーデンにいるときに、将来移住するイランでこどもたちに色々縫ってあげようと思い、日本からも材料を調達して準備していたのだ。ところがクミシュテペに来てみたら、想像と違うことがたくさんあった。そのひとつが、人々のワイルドさだ(または、ナーセル一家のワイルドさ?)。大判のきれいなハンカチをあげたら、それで熱い鍋を掴んで焦がしたり、スフラ(テーブルクロス)を拭いて汚したりしていた。手縫いのバッグなんかをあげても、そのうち薄汚れてその辺に落ちている。いつかは、わたしが手でキルトしたポーチがドロドロぐしゃぐしゃになったのを、ハリルが南庭で拾ってきて、がっかりしたこともあった。しかしそれは自分の思い込みからくる勝手な無念さだと気がついたので、それ以降は丹精こめてなにかを縫ってあげるということをやめたのだった。

使ったのは、こども用のチロリアンテープと水色のコットン。コットンは薄いので、古くなったシーツを重ねてキルティングした。裏地もついているので、三枚分の厚みがあって丈夫だ。


マチもついてます


キルト線は自由に!


チロリアンテープも伸び伸びと縫いつけた

あまり細かく測らずに、感覚で作ることを身につけようと思ったのだが、その結果、寸法がかなり狂っていた。よっぽどやり直そうかと思ったが、そこをぐっと我慢だ。誰も気にしない細かいことを、自分だけが気にするくせを直したいと思っている。


 手さげをあげるのはまんなかの甥っ子。右も甥っ子で、左はその親戚

誰も持っていないこんな手さげを持っていったら、学校でいじめられるかも。でもおばさんは自己満足で縫ったんだから、知ったこっちゃないわ。

義母の刺繍

今日は義母の家まで歩いて行ってきた。日本から戻って最初に会ったときは、今年も一ヶ月のラマダンを経たからか、一段と小さくなったように見えた義母だが、あいかわらず毎日刺繍をしている。刺繍は、もはや歩けなくなってしまった彼女の人生の大きな部分を占めている。


いつもの窓際で

東京での「さばくの民芸店」は大成功だった。来てくださった方々、応援してくださった方々、本当にありがとうございました。わたしが知らなかった「砂漠人」ブログの読者が何人も会場に足を運んでくださり、驚いたし、ハリルとともにうれしく思いました。
直前に腰痛で入院したわたしは、結局ギャラリーには一度も行くことができなかった。代役を務めてくれたのは、友人の吉田肇子さん。彼女には命を救われた思いだ。ながちゃん、本当にありがとう。
おかげさまで、義母にもいい報告ができた。もっとも、彼女は自分の作品が売れないわけはないと、最初から自信があったようだ。今回はいろいろな作品を少しずつ作ったけれど、これからしばらくは、トルクメン女性の下着「バラック」の製作に集中しようと考えている。このズボンは、女性たちがワンピースの下に着ているものなのだが、展示では男性のお客さんがいろいろ試着した末に一本買ってくれて、なんと、それを履いて店を出て行った。その話を義母たちにしたら、ウケたことウケたこと! トルクメンにとってこれは、男性が近づくことのできない禁断の肌着なのだ。
けれど、この履き心地のいいユニークなズボンは、ヨガパンツなど、日本でも十分に使えるものなので、義母に縫い方を教わりながら、品質をよくしていきたいと思っている。今日、義母が刺していたのも、バラックだ。

灰色の生地に、からし色と黒の刺繍糸だった。あまりに地味な色なので、「男物を作っているのか?」と聞いてしまったほど。すると義母は「違うよ~。女のバラックだよ!」と言い、刺し終った片方の刺繍を見せてくれた。


ナール(ザクロ)の模様

さすが! すばらしい配色だった。彼女は、どうして自分の色味がいいかというと、それは昔風の配色だからだよ、と言う。でも、昔とは刺繍糸の色味が違うし、それは彼女の七十年以上の経験からくる、絶妙な感覚によるものだとわたしは思っている。刺繍が施されたバラックの裾は、さらに黒いテープで縁取りされて仕上がる。

オーブンのガラス

割れて、抜けてしまっていたオーブンのガラスが入った。ハリルが町の店で注文し、その場で切ってくれたのを持って返ってきてくれた。ガラスの調達をお願いしてから一週間以内に手に入ったので、驚異的な早さだ。


サイズはわたしが測ったので、もちろんピッタリです

留守のあいだ、この家に住んでいた姪っ子によれば、オーブンのガラスは冬の寒い時期に突然割れ落ちたのだそうだ。正直なところ、わたしは(またナーセル一家が壊したか! まったくどうやったらガラスが割れるんだ、野蛮なんだから!)と思っていた。が、姪っ子が嘘をついているとも思えなかった。そしてハリルがガラス屋の店主に聞いたところによれば、オーブンのガラスは自然に割れるようになっているそうだ。割れないと、商売にならないから…だそうで。
新調したガラスは、よく見ると5枚綴りになっている。細長いガラスを並べているのだ。どうして一枚ガラスを買ってこなかったのかと聞けば、こうやってガラスとガラスのあいだに隙間があることが重要なのだと言っていた。(はてな? それでは保温ができないんじゃないのか?)また、割れたときに一枚だけ買い直せるからいいのだとか。
クミシュテペの家の窓やドアは、細切れにしたガラスをはめ込んだデザインが一般的なのだが、これはまさに貧しさの証だろう。わたしにはとてもみずぼらしく見えるのだが、クミシュテペの人たちは生まれたときからそれを見て育っているので、その細切れが正しいドアのあり方だと思っているようだ。しかも、「アワダン(美しい)」と感じているよう。
さて、気を取り直して、良い点について述べたい。細切れであろうと、わたしは新しいガラスの方がいいと思ってる。なぜなら、最初のガラスには全面に絵が描かれていて、それが邪魔で中の焼け具合がよく見えなかったからだ。透明ですっきりしたので、これからはドアを開けなくても中身が見えるだろう。早くまたケーキを焼きたい。今は犠牲祭の残りのお菓子とナッツ・種類をおやつにしているが、イランのお菓子は見た目は派手だけれど、すぐに食べ飽きるのだった。


かぼちゃの種、アーモンド、ピスタチオなど

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プロフィール

イランのトルクメンサハラに移住した日本人クミコです。中央アジアの少数民族トルクメンの夫と、その家族や動物との日常を綴ります。
2006年にスウェーデンで始めたこのブログは、4回引越をして今に至りました。過去のサイトはリンクより閲覧できます。

連絡先:sabakujin at gmail dot com
インターネットの環境が不安定なため、お返事が遅れることがしばしばあります。ご容赦ください。

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