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砂漠人5

トルクメンサハラの暮らし

   
カテゴリー「日常」の記事一覧

刺繍

刺繍を再開して、最初の作品が仕上がった。自分のスティッチには大いに不満がある。しかしどうやったら上達するのか、まったく分からずお手上げだ。

アンナック

このアンナックは、長さが42cm、幅が2cmの輪っかになっている。毎晩できる限り刺して、二週間以上もかかってできあがった。配色は、義母の作品の一部を真似たので伝統的なものでまちがいはないはずだが、一応見せに行って講評してもらおうと思う。簡単そうな模様でも、刺してみると細かいところの処理が分からず、適当に処理したら美しく仕上がらなかった。順番に刺していけば仕上がるのではなく、仕上がりを想像した上で、こんな細かいひと目ひと目を計算しながら刺していくのが筋なのだろう。実に難しい!


上の刺繍は、この辺りでも一番上手だと言われている刺し手によるワッペン。いつも自分が一所懸命刺したあと、「まあまあよくできたかな」と思って彼女のスティッチと比べている。するとたちまち、よく刺せたと思っていた自分の作品がゴミに見えてきて、不愉快になる。その差は歴然としているのだ。
刺繍のうまさは、練習することで上達する部分もあるだろうけれど、おそらくその人が持っているもともとの上手さというのがあると思う。絵を描くのが上手な人は最初から上手なように、刺繍のうまい人も最初からセンスがありそうだ。そういう人が何十年も刺したらどうなるか。この刺し手や、義母のようになるのだろう。
ちなみにわたしの刺した刺繍は、商品にはしませんのでご安心を。修業を重ねていつかは売り物も刺したいものですが。
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雨と時間と…

秋になり、ときどき雨が降るようになってから、庭の緑が保たれている。夏のあいだに恋い焦がれていた飲み水も、十分溜まったのでひと安心だ。しかし今度は気温が下がってきて、冬の訪れを感じ始めた。それもそのはず、いつのまにか12月に入っているじゃないか!

庭に生えた草

夏から成長が止まらないミニトマトが赤くなってきた!

大人になると時間の経つのが早く感じることを心理学的に説明した「ジャネーの法則」というのがあるそうだ。これを友人に聞いて知ったのだが、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例するという。たとえば「一年」は、50歳の人にとっては50分の1だが、5歳の人にとっては5分の1に相当する。自分の知っている時間の総数と比べて、一年という時間を大きく感じたり小さく感じたりするのだろう。しかしこれは自分で書いていて、論理的にまちがっていなくても、どこか腑に落ちない。相対的に短い時間だからといって、「なぜ」早く過ぎたように感じるのか、ここのところが理解できないのだ。ずっと考え続けても分からないので、自分がちょっとバカなんじゃないかという結論に達している。
いずれにしても、時間が早く過ぎると感じるのは本当だ。同じことの繰り返しだと早く感じるというのも、あり得そうだ。そうならば、「砂漠で生活」などという新しい経験を続けてきたこの5~6年は、長く感じるはずなのだが…。う~ん、たしかに、「あっという間」とも言いきれない気がする。あんなこともこんなことも、盛りだくさんだった。予期しないことの連続が収まって、平穏な日々が続くようになった今だからこそ、時間の経つのが早く感じるのかもしれない。


ある雨の午後、鎖を外して自由にしたタロ子・ジロ子は、小屋のひさしの下で昼寝をしていた。そこに猫たちが集まって、寝息を立てて眠るジロ子を湯たんぽ代わりにしていた。外猫用の湯たんぽも日本から用意してきたのだが、置く必要はなさそうだ。夜もこうやってくっついて寝ているのだろう。


こちらは家猫のガウシャン。パンが大好きなので、犬猫用に買ったパンを全部食べていいよ! と言ったら、あちこちのパンを一口ずつ齧っていた。

刺繍

民芸品の製作と同時に、刺繍も再開した。わたし自身も一昨年くらいから刺繍を始めたのだが、まだまだ初心者で、バラックなどの大きなものは刺したことがない。「一万時間の法則」というのがあるらしく、それは、なにかを習熟してマスターになるまでにかかる時間のことだそうだ。わたしも死ぬまでにトルクメン刺繍のマスターになりたいけれど、この法則に従うとすると、一日1時間刺して27年、2時間刺して13年、3時間刺して9年かかる計算だ。一日1時間しか刺さないと、マスターする頃にわたしは72歳。キビシイ! 毎日3時間刺すというのも難しいだろう。2時間だったら58歳でマスターになるはずなので、このあたりを目指そうと思う。飽きっぽいわたしが十年以上続けたものは、恥ずかしながら、ブログ以外なにも思い当たらないので、もう一つくらいやってみたい。
それにしても、もし本気で刺繍をマスターしようとすると、ほかのものはもうなにもマスターできないくらいの年齢になっている。最近、ミニマルという考え方にとても興味を持っているのだが、有限の人生を意識し始める年頃だからだろう。

あいかわらずアンナックで練習している。FENDIみたいな模様だ

民芸品の方は、「鳥の翼」という模様を刺してもらったものをワッペンにする作業をしている。これは小さなトートバッグにつけることになる。


ところで「一万時間の法則」については、科学者のあいだでも正しいかそうでないか議論があって、どうやら万人に当てはまる法則ということではないようだ。一所懸命やっても刺繍以外なにもマスターできない将来というのもさみしいので、わたしはこちらのスピーチを聞いて、自分を励ました。「まあまあ良い」レベルまでなら20時間で到達できるんだって!

Josh Kaufman "The FIrst 20 Hours - How to Learn Anything"(英語)

牛の搾乳作業

牛の搾乳作業はふだんはナーセル夫婦がしているけれど、彼らの都合が悪いときは、わたしが代わりに搾ることになっている。今日もナーセルから電話がかかってきた。頼まれてから、すぐに着替えて牧場に駆けつけ、チャチャっと牛乳を搾ることができるというのは、なかなかの技能なんじゃないの? と思うのだが、こんなことができても日本では何の仕事にも就けないだろう。それどころか、クミシュテペでもほとんど役に立たない。こんなことは、誰でもできる作業なのだから。
イランに引越してから三年くらい、わたしはハリルと一緒に牛の世話をしていた。ハリルが飼料を作ってやり、わたしが乳を搾る。これを朝晩一日二回、365日続けたのだ。もちろん風邪で寝込んだり、別の町へ出かけるために代打を頼んだこともあったけれど、それは本当に数えるほどの回数だった。おかげでついた筋肉も、今は見事に落ちているが…。
もう三年くらい前のことだが、『世界の村で発見! こんなところに日本人』という番組に出たことがあった。今思うとあの時は… といろいろ書きたいこともあるけれど、それはひとまず置いておき、ロケに来た取材班の人に頼んで、いただいた映像を紹介したい。番組では映らなかったクミシュテペの風景で、最初の方にわたしたちの搾乳の様子が出ているので、興味があったらちょっとご覧ください:



番組の内容も、自分たちが出ているのは10分くらいなのでアップしたかったけれど、そちらは映像の編集ができず、断念している。

さて、牛のいる南庭の話に戻ると、子羊がたくさん産まれていて、賑やかだった。「ンメェエエエ!」と鳴いて、母親のおっぱいを突いていた。子ヤギもスキップするように飛び跳ねて、本当にかわいい。鳴き声は、子羊よりも子ヤギの方が高くてチャーミングだ。ヤギは母親にそっくりの模様が出やすいのか、見比べるとどのヤギが母親なのかがすぐに分かった。さらに、子犬8匹も歩きまわるようになった。しっぽをブブブンと振りまくり、羊に甘えたりしていた。動きがぎこちなくて、マンガみたいでたまらない。予想外の方向へ動くので、カメラを持っていたとしても、上手に撮れるかどうか怪しいものだが、近いうちに撮ろうと思う。

鶏を食べる

今朝、食べるために雄鶏を一羽殺した。わたしが自分で世話をした鶏を食べるのは、初めてのことだ。犠牲祭で殺した羊の肉が終わってしまったので、ついにこの日を迎えたのだった。
わたしが鶏の世話をしようと思ったのは、あるブログで著者のお嬢さんが鶏や七面鳥などの家禽を買い、育てて大きくして売る… というのを読んだからだ。それまでわたしは「鶏は嫌い」という態度を取り続けて、ハリルが世話をしていてもあまり手伝わなかった。しかしそのお嬢さんは大学生なのに、自主的に世話をすることでちゃんとお金を稼いでいて偉いなと思い、それに感化されたのだ。不毛なこの土地で不満を多く抱えながらも、わたしはできることをしていないのだと、ずばり教えられた気分だった。
そうして意を決して世話を始めたものの、いまだに収入源にはなっていない。諸事情によりそれは仕方ないとしても、そろそろ卵だけではなく、肉も自家消費すべきだと思っていたところだ。牛も羊もそうだが、家畜や家禽は人に売るより自分が食べるのが一番いいような気がしている。その動物が、どういうふうに産まれて、大きくなる過程でどんなことがあって… と、肉になる前の生について多くを知っているのは自分だからだ。何も知らない人に、ただの肉の塊として扱ってほしくないような気持ちになる。実際それはあまりにセンチメンタルで、自分だって肉の塊を買ったときに動物の生をありがたく感じたりはしなかったりするけれど、とにかくこれが、育てる側としてのわたしが得ている一つの結論なのだ。店で買った鶏肉の質が気に入らなかった経験も加わり、今は自分の鶏を食べることは自然だと感じている。


肝心の首切りは、ハリルがしてくれた。朝一番に餌をやるタイミングで一羽捕まえて、残りの群れにわたしが餌をやっているあいだにハリルが処理した。犬や猫にも餌をやっていたのに、一匹の黄色い猫がハリルのそばを離れないのが見えた。ロミ夫だった。経験豊富な彼は、その場で落とした鶏の頭をもらったようだ。
羽根のついた鶏をどう処理するか、の写真は割愛することにする。今回は、本で読んだ知識を活用して、65℃くらいのお湯に一分、鶏を浸けてから羽根むしりをした。そうすると毛穴が開いてむしりやすくなるということだったが、本当だった。ただし、羽根は濡れてしまうので、枕などに使うことはできなくなる。


ここまで来れば、見慣れた鶏肉に近づいたはずだ。若いし、庭に放し飼いにしている鶏なので太っておらず、食べるのがかわいそうなくらいだった。

左から砂嚢、心臓、肝臓。チキンだけに、心臓が小さい!

鶏の砂嚢は、その中にある石で餌をすり潰して餌を消化するらしい。たしかに、砂を含んだ餌らしきものがぎっしり詰まっていた。しかしそれは袋ごとペロッと取り除くことができる。



解体した雄鶏はこのとおり。まずはガラでスープを取って、ボルシチを作る予定。脂がほとんどないので、羊の脂を足す必要がありそうだ。

義母の刺繍のおわり

刺繍の代金を支払いに、義母のところへ行ってきた。分かっていたことだが、やはり義母は刺繍をしておらず、朝のお茶が終わったあとで横になっていた。一日のうちで横になる時間が、少しずつ増えていくのかもしれない。
バラック12本、ハンドバッグ2つ分の刺繍が未払いだったので、合計して大きな金額になっていた。値段の内訳を説明して、それでいいかと確認したら、「わたしはあなた、あなたはわたしだから、お金は払っても払わなくてもいいんだよ」というようなことを言ってくれた。「わたしは仕事をしたらお金をもらうから、お母さんももらわないと」と言うと、OK と言って受け取っていたが。
ハンドバッグの持ち手の材料を買うために、預けてあったバッグ本体を出してもらおうと思ったら、見つけることができなかった。刺繍関連のものを詰め込んだたくさんの風呂敷包みが二階の倉庫にあるようなのだが、風呂敷をまとめるのはお母さん、置きにいってくれるのはお嫁さん(ナーセルの奥さん)なので、どこになにがあるか分からなくなってしまうようだ。結局見つからなかったのだが、その整理の過程で出てくる端切れや撚ってある糸をまとめてわたしにくれた。しかし端切れといっても、2~3センチ幅の紐状の布がちりぢりになったものがほとんどだ。義母も、昭和時代を生きた多くの日本人母と同じく、物を捨てることができないのだろう。わたしにはごみにしか見えない端切れだが、「刺繍するときにあて布として使え」と言って持たせてくれた。



それから、刺しかけの刺繍もひとつくれた。チュナール(刺繍の技術のひとつ)はできるだろ? と言いながら。残った10cmくらいを仕上げて使えということだ。


電話の下に置く敷物を作っていたようだが、家にあってもこどもが汚すから持っていけ、とわたしに。これはスティッチがガタガタなので、つい最近の作品だと思う。義母はその人生において80年近く刺繍をしてきたはずで、ほんの数年前まで、スティッチはきめ細かく整っていた。しかしこの数年はだんだんと目が悪くなり、ついに手元が見えなくなったのだ。この敷物は、普通のヨムートの刺繍には見られないシンプルで大きめのスティッチと明るい色を使って、つまり見えない目でも可能な限り刺した、義母の工夫とその造形が見られる。残りのチュナールを完成させて、わたしの部屋に飾ろうと思う。

ザクロ

長かった夏もとっくに終わり、ザクロの季節になった。ザクロやカキ、ブドウが終わったら、果物はオレンジ一色になってしまう。




ザクロは皮を割り、がりがりと粒をかじって食べる。種もよく噛んで食べてしまうのだが、食べ過ぎればお通じが悪くなる。それがいやなので、わたしは種を取ったジュースにして飲んでいるのだが、ハリルは「種が腸を掃除してくれるのだ」といつも言う。

果物の過食は一生治らないだろう

夏が終わったあと、2羽の雌鶏が卵を温めていた。1羽は三週間座ったあと、卵が全滅した。彼女のせいというよりは、卵の質の問題のようだ。もう1羽はなんとか5羽を孵化したけれど、そのうち1羽はわたしが誤って割ってしまい、なんとか救出して家の中で手当てをしたものの、二日目には死んでしまった。



ごめんよ~

産まれた雛のうち、4羽は母親そっくりの黒い雛だった。雌鶏が卵を温めるとき、集めて保管してある中から適当に10個くらいを選んで寝床に入れてやるので、どの雌鶏が産んだ卵を孵すのか分からないものなのだが、今回はこの黒い雌鶏の卵がほかより大きくて分かりやすかったので、たくさん入れておいたのだ。だから、4羽の雛たちはきっと彼女のこどもだ。


いつだったか、飛べないハトを保護して以来、ハトはずっと家禽小屋に置いている。まだ左の羽が羽ばたけず、飛べないのだが、最近ひと回り小さくなった上に、色味が悪くなってきたので、飛べるようになる前に死んでしまうかもしれない。野生の鳥を世話するのは本当に難しい。

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プロフィール

イランのトルクメンサハラに移住した日本人クミコです。中央アジアの少数民族トルクメンの夫と、その家族や動物との日常を綴ります。
2006年にスウェーデンで始めたこのブログは、4回引越をして今に至りました。過去のサイトはリンクより閲覧できます。

連絡先:sabakujin at gmail dot com

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