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砂漠人5

トルクメンサハラの暮らし

   
カテゴリー「日常」の記事一覧

ありがとうございました

 いよいよ最後の記事となりました。出発前のバタバタで焦っていて、気の利いたことは書けそうにありません。
 このブログはここで終わります。日本でどんな暮らしになるのか、今は想像がつきませんが、なにかつづきのようなことがあるとしたら、インスタグラムにアップロードしたいと考えています。現在使っているインスタのアカウントも、今日で終えます。新しいアカウントは下のとおり。気長にお待ちください:
 また、ハリルの生い立ちを綴るブログ『砂漠人6』は、ハリルが語ってわたしが書いているので、その作業時間が取れるようになったら記事をアップしたいと思います。こちらも、どうか気長にお待ちください。
 それでは、長いあいだ、または短いあいだ読んでくださり、本当にありがとうございました。でも、まだインスタや砂漠人6で続きますよ!

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日本に移住(帰国)します

 もうすぐ七年になろうとしているクミシュテペでの生活だが、ここに来て思いがけず終わることになった。その経緯はここに簡単に書いたけれど、読み落としている人のために、この記事をブログのトップに置いておこうと思う。10月半ばに、ハリルとわたしは日本へ移り住みます。
 『砂漠人』ブログについては、砂漠生活が終わると同時に書くのをやめようと考えている。日本での生活は、「砂漠的」なことはなさそうだし、わたしが働きに出たら時間の余裕もなくなりそうだからだ。けれど、ハリルの一生を本にまとめたいと思っているので、その下書きを兼ねて、記事をアップしていくつもりだ。だからたぶん、ここにいるあいだに終わらないだろう。下書きなので、内容が前後したり色々あると思うけれど、本になる前なのでただで読めます。今のところ、まとめたらアマゾンで自費出版したらいいんじゃないかと思っている。十二年に渡ってブログで書いてきた、ハリルのライフスタイルや思想の源が明らかになるよう、まとめていきたい。そしていずれは、それをトルクメン語に訳して、クミシュテペの人に届けたい。
 結果として、ずいぶんと面倒な夢を抱いてしまった! どうなることやら。

直前の意外な…

 旅立ちの支度はだいたい整った。出発は、明日だ。出発直前になって、意外な気持ちが湧いてきた。
 おとといだったか、自転車で家に帰る途中、後頭部にボールをぶつけられた。こどもたちが遊んでいて、通り過ぎるときに彼らに冷やかされたので、そのうちの一人が投げたのだろう。わたしはふり返らずに、そのまま走り去った。痛みはまったく感じなかったけれど、もちろん非常に不愉快だった。でもそれをきっかけに、この地を永遠に去ることになることに対する、喜びのようなものを感じたのだ。もう二度と、あのこどもたちに会うことはないし、野蛮な態度をとった町中の人たちともおさらばだ。受け入れがたい異文化とも、さようなら。なんだか清々しい気分になってきたのだった。
 思えばクミシュテペに来て以来、親戚、職人、隣人、いろいろな人間とのあいだでうまくいかないことの連続だった。気の置ける人が一人もいないという状況は、じわじわと疲れがたまる。ここに住んでいた時間の多くは、正常に機能しない家、一向に造られることのない塀、すぐに壊れる諸々、というポンコツな状況で過ごした。そういう環境に慣れることはできたけれど、下らないことにつねに振り回されている感じは拭えない。ここ1~2年は落ち着いていたものの、そんな生活のネガティヴな側面もついには終わるのだ。いいじゃないか。


 二階の部屋のドアを四枚、塗り終えた。自分が使うことも、お客さんを迎えることもなくなったこの家だが、やはり自分の家なので、自分で整えておきたかった。それに、いずれにしてもペンキ塗りは、この季節にやっておくべき家事だったのだ。

寝室

 二つある寝室の窓やドアに、カーテン(白い布)を吊るして外からの光や視線を遮った。昨日の朝、布を12メートル買ってきて、8枚のカーテンを縫ったのだ。カーテンレールも数日前に設置しておいた。

サロン

 サロンの窓二つと、玄関にもカーテンを吊るした。そしてカーペットを戻した。大きなオールドキリムを買ってあったのに、結局これを楽しむこともなかった。

奥が台所

 あとはカーペットの調整など、使う人がやってほしい。敷いたカーペットが歪んでいるように見えるけれど、トルクメンの家はこのくらいの緩さで敷かれているので、わたしも放っておくことにした。
 この二階に住んでいるときは、壁はセメントを塗っただけの部分と白塗り工事が途中のまま放ってある、おそろしく貧しい様相の部屋だった。カーテンも下げてここまで整えたときに、わたしはもういなくなる。なんともいえない状況だが、そうなったのだった。

追記:
階段のペイントは、ついに諦めました!

わたしにとっての砂漠生活とは

 クミシュテペでの砂漠生活は、わたしにとって何だったのか。得たもの、失ったものは何だったのか、ちょっと考えてみた。残された砂漠生活の時間は、あと三日となった。
 失ったものは、ずばりお金と時間だろう。経済的な側面に焦点を当てれば、七年近くになるここでの年月は、マイナス以外の何物でもない(キッパリ)。しかしそれ以外に大きく失ったものは今のところ思いつかないし、お金だって別の国に暮らしていたら、もっと多くの支出があったかもしれない。
 得たものは、大きなところで三つある。一つ目は、健康をすっかり身につけたということだ。クミシュテペは空気がよく、一年中豊かな農産物が手に入り、肉や卵は自家製、魚は漁師から直接買うことができる。最初の三年は牛の搾乳をしていたので、早寝早起きが身に着いたり、筋肉がついたり、健全な生活習慣を体得することができた。
 二つ目は、自然の摂理について、理解が深まったということだ。生物の生と死、これについては日々目の当たりにして、それがどういうことかについて自分なりの答えが出た。生きている限り、死ぬ。生きているものは、死ぬ。死ぬということは、生まれるのと同じくらい自然なことだ。書いてしまえば、どこかで読んだことがあるような文章だが、それに納得することができた。動物についてはとくに、クミシュテペに来る前は想像もしなかった考えも持つようになった。それは、たとえばペットについて。ペットというのは、飼い主がいくら大事にしていたとしても、所詮はその生きものを「おもちゃ」にしているということだと思う。つまり、性的に不能にしたり、家の中に囲ったりすることは、決して犬や猫の性質に沿った処置ではないし、彼らがそれを望んでいるはずもない。やはり人間社会に適応してもらうために、人間がよかれと思ってしている行為だと思う。そのことが正しいかそうでないかは判断がつかないし、状況によるかもしれないけれど、ペットの場合、人間は動物をおもちゃにしているということは、頭のどこかに置いておく必要はあると思う。そういう意味では、わたしも犬猫を半分おもちゃにしてしまい、そして捨てていくことを悔やんでいる。
 得たものの三つ目は、人生に対する態度だ。自分の人生に対して、あまり深刻にならないという姿勢を身につけることができた。英語で "Don't be so serious." とか "Take it easy." という感じだろうか。クミシュテペの人はもう少し深刻になった方がいいと思うけれど、わたしを含めた日本人は、もう少し気楽になってもいい気がする。そんなにまじめに働かなくてもいいし、物事を真に受けすぎな面は緩めてもいい。そう思うようになったので、少し気持ちの余裕が持てたのかもしれない。
 砂漠生活がわたしにとって何だったのか。今この時点で言えることは、これはわたしにとっての "Long holiday" だったということだろう。七年くらいの長い休暇だったのだ。そう思って、日本の社会や仕事に戻るつもりでいる。65歳でリタイアするとしたら、これからまだ二十年近く働く時間がある。二十代前半から働き続けていたとしたら、なんと四十年もの人生を仕事に費やすことになる。そのうち十年くらい、休みをとってもまったく問題ないだろう。むしろ、途中で休むくらいがちょうどいいんじゃないだろうか。仕事が人生(ほかのことは犠牲となる)、これはわたしには到底持つことのできない態度だ。生きているあいだに、味わうことができる大きなものは、やはり自然じゃないだろうか。
 先日、ハリルと一緒に『人生フルーツ』という映画を観た。ある建築家が、山を切り崩した土地に造られたニュータウンの一画に土地を買い、自宅を建て、家族とともに庭を無から小さな森にしていったという暮らしぶりが描かれていた。豊かな日常、自然と人間のあるべき姿を体現しているような人たちだった。まねはできなくとも、お手本として忘れずにいたい人生だ。

ラストスパート

 引越すると決まってから一ヶ月以上あったはずなのに、だらだらと日常を過ごしてしまった。片づけは少しずつしていたものの、あまり力が入らなかった。もっとも、モノの量が少ないので力を入れなくても簡単に片づいたようだが。
 残り5日となった今日、ようやくスイッチを入れ替えた。どうでもいいことに時間を費やすのをやめて、家の整理と荷物のパッキングを効率的に終わらせよう。まずは、やり残していた二階のカーテンレールを設置した。持ち帰る荷物も、パッキングを進めた。

何でしょう?


 刺繍糸はこれだけ持って帰ることに。端切れも含めて重さを量ったら3キロもあったが、このままバッグに入れるつもりだ。こんなにたくさんの糸は絶対に必要ないと分かっているのに、やはり詰めてしまう。しかし他に持ち帰るものを眺めても、すべてがどうでもいいようなモノばかりだ。実家にはあまりスペースがないので、チェックイン荷物の許容量ギリギリを持ち帰る必要はないかもしれない。二百平米の豪邸に二人で住んでいたので、これから大変だ!


 タロ子の息子、ガチガチは大きくなってきた。タロ子・ジロ子にかわいがられ、猫たちにちょっかいを出して過ごし、しあわせに育ったと思う。わたしたちがいなくなった後、彼はどこかにもらわれていくだろう。ガチガチの後ろの方で倒れている猫は、これだ。


 キティは今回、いい母親だった。一日に何度も餌を食べるために家の中に入れてやっていたけれど、それはもうすぐできなくなる。餌は毎日もらえないだろうし、奪い合いに慣れていないので餌にありつけないかもしれない。狩りもできないようだし、キティのお先は明るくない。子猫たちはほかの猫をまねて、なんとか強くなってほしい。

強くなければ生きていけません

ケーキと市場

 ケーキを焼くのは今日で最後にして、ケーキ型などをしまおうと思った。それで朝からデーツのケーキに取りかかったのに、集中力が足りなかったのか、凡ミスを犯した!

表面を削ぎ落とせばだいじょうぶ

 ケーキの上面がすっかり焦げてしまったので、あらためてデーツを水に浸けたりして二つ目の準備をした。このケーキを冷凍しておいて、帰国の道中に携帯しようと思っていたので、ちゃんとしたのを作り直したかったのだ。

二つ目は完璧です

 イランに来てからパウンドケーキは本当によく焼いたし、いろいろな果物を使って作ることができるようになった。ナーセルに、日本でもケーキを作っていたのかと聞かれたけれど、たしかにわたしは東京でも焼いていた。その名も「ストレスケーキ」。パウンドケーキなのだが、仕事から帰って夜中にストレス発散のために焼いていたから、同僚がそう命名した。ケーキを焼く作業は、決まった材料を決まった量で決まった方法で扱い、型に入れてオーブンに入れるという、一種の工作のようなものなので、黙々と作業できる。そしてクライマックスは、ケーキが焼けてきてオーブンの中で膨らんでいる様子を見ながら、その香りを嗅ぐところだ。食べるところは、わたしにとっては最重要ではなかったが、翌日職場に持っていって食べたり、同僚に配ったりしていた。そんな日々にまた戻るのだろうか? いや、それはないだろう。当時よりは生活力が向上したはずなので、ストレス「レス」な人生になるに違いない。


 今日は最後の水曜市場に出かけてきた。日本へ持ち帰るための刺繍糸と針を買い足し、スパイスを買い、それからハリルと一緒に日常の買いものをした。市場の品物は、すべて値上がりしている。2~3倍は普通で、5倍以上になったものもあった。すでに多くの人は、食べるものが満足に買えていないはずだ。これからもっと暮らしにくくなっていくのだろうか。


小さな命も、がんばれよ!

モノ

 サロンに置いてある棚を整理していて、巾着袋がたくさん溜まっていたことに気がついた。すべて自分が作ったものだ。

意外と少女趣味だった?

 袋の中には、イヤホンや充電ケーブル、パソコンのマウスや家の鍵などが入れてある。外付けハードディスクやICレコーダーなんかもある。この家に置いていくものと、日本に持ち帰るものを分けて、それでも袋は余ったくらい。


 この棚も、棚に置いたものも思い入れはあるけれど、このままにしていこう。しかしこれだけはどうしたらいいものか、迷っている。

メガネスタンド。このあいだ持ってきたばかりなんだけどな~

プロフィール

イランのトルクメンサハラに移住した日本人クミコです。中央アジアの少数民族トルクメンの夫と、その家族や動物との日常を綴ります。
2006年にスウェーデンで始めたこのブログは、4回引越をして今に至りました。過去のサイトはリンクより閲覧できます。

連絡先:sabakujin at gmail dot com

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