忍者ブログ

砂漠人5

トルクメンサハラの暮らし

   
カテゴリー「日常」の記事一覧

コロッケなど


今日はグリーンピースを入れたコロッケを作った。しつこいようだが、水島弘史シェフの低温調理を試しているので、コロッケもいつもよりずっと少ない油で揚げてみた。カリッとおいしくできたものの、色かたちがディープフライしたときのように美しくない。揚げ物についての調理法はうろ覚えだったので、またよく読んでみるつもりだ。しかし油は底から1cmくらいしか入れないので、フライパンにほとんど残らなかった。

パンにはさんで、コロッケサンドに

先日コイネクを縫った際に、多くの一人の方から「コイネクとスカーフの組み合わせを見たい」というリクエストがあったので、自撮りをしてみた。いかがでしょうか?


わたしは色白だと思っていたのに、いつのまにか肌がイラン色になっていて驚いた。血行がよくなったのかな?(笑)今年から日焼け止めを塗ろうと思っている。
しばらくしたら、正面を向いていない写真に変えますのでご了承ください。

さて次に、これは何でしょう?




途中から水やりもいい加減だったのに、ラディッシュが収穫できた。これだけは地下に育ったので、鶏が突かなかったのだ。しかし引き抜いて齧られていたのも落ちていたから、油断ならない。洗ってそのままかじってみたら、ピリッと辛かった。別のサブジも、雑草に混じって少しだけ大きくなっていた。コリアンダーやディルなどの料理用に比べて、生食用のサブジは育てるのが簡単だということが分かった。

PR

市場


グリーンピースが出始めた

今週の市場での買物は、過去最多の量だったかもしれない。一度帰宅して、持ちきれなかった荷物は自転車で取りに行った。来週、どうやらハリルが帰ってくるようなので、無意識にその予行演習をしてしまったようだ。市場のある日の夜遅く戻ると思う。「ハリルがいなくてもまったく問題ない」などと言いふらしていたけれど、帰ってくるとなると急に(余分な)元気が出てきた。


このメロンを食べながら、モンゴルで肉しか食べていないハリルにビデオで見せていたら、わたしが日本にいるときに同じことをすると悔しがっていた。まったく問題ないですから~

押麦、赤砂糖、紅茶に入れるミックススパイス、アーモンド、シナモン

グラノーラを作ってみようと思い、オーツはないので押麦を買った。押麦は大麦を茹でで潰したもので、オーツは燕麦(えんばく)を潰したものなので、見た目は似ていてもまったく別の性質を持った食品なのだそうだ。押麦でグラノーラを作ると、オーツで作るより固くなるらしい。それでも一度試そうと思っている。アーモンドはまちがっておつまみ用のを買ってしまい、異常に高かった。これは失敗だったが、グラノーラに入れてみる。
上の写真、イランの紙幣が写っているのだが、すべての紙幣にはホメイニ師の肖像が印刷されている。わたしもようやく、数字を見なくても、パッと見で金額が分かるようになってきた。

義母と鶏

鶏があまり卵を産まない。それは仕方がないことなのだが、義母が会うたびに「鶏は卵を産んでいるか?」と聞くのである。彼女は幼い頃から馬に乗って羊を追いかけていたような、本物の自然人なので、食べものに関するこだわりも相当なものだ。店で買うブロイラーの鶏は食べたがらないし、卵も然り。家で飼っているオーガニックな肉や卵じゃないと、文句がすごい。だからつまりは、その質問をすることによって、わたしが育てている鶏が産んだ卵をくれ、ということなのだ。
はっきり言って、わたしは好きでもない鶏を、お小遣いを得るためにがんばって世話してきたので、その肉や卵をはいはいと義母やナーセル家族にあげる気にはなれない。わたしがケチだということはもちろんあるが、義母も卵を産まない鶏の話をすると「草を食べ過ぎて太ったんだ。処分してしまえ」などと、世話もしなければ見たこともないわたしの鶏に対してケチをつける。まったく腹が立つじゃないか。
しかも先日は、数を調整するためにあげた雄鶏に対して、その肉がブロイラーの肉のにおいがしたなどと言うのである。犬猫にやっている鶏肉の骨や皮の部分を、わたしが鶏にやっているんじゃないか、などと憶測しているのだ。その場では「やっていませんよ。鶏に肉なんかやるわけないじゃないですか」と反論するに留めたけれど、本当に腹が立ってきて、「お母さん、今後一切、わたしの鶏に干渉するのはやめてください」と言いたい衝動にかられた。しかし相手は、87歳の刺繍の名手の、本物を知っている大人物だ。そんな敬意のない態度を取ってはいけないだろう。(…ときどきやっていますが。)どうしたものかと思い、後日こっそりナーセル夫婦に雄鶏のにおいについて聞いてみた。
奥さんはにおいはなく、雄鶏をもらえることは大きな助けになると言い、ナーセルは義母が年を取って食べものに対して神経質になっていると言った。じつは、よく考えた挙句、わたしもそういう結論に達していたのだった。
80歳、90歳にもなると、多くの人間は自分で食事の用意やその他のタスクができなくなる。でも大抵口は使えるから、文句だけは若いときと変わらずに、あるいは若いときより堪えが効かないためにたくさん出てくる。他にやることがなくて時間が余っている、というのもあるだろう。それをいちいち真に受けて腹を立ててはいけないのだ。そんなことに気がついていたところだった。
今日は考えを変えて、昨日と今日で産まれた4個の卵をポケットに入れて、義母に持っていった。産みたての卵を受け取った義母は、まるで孫でも産まれたかのように喜んだ。トルクメンが大事なものを受け取ったときにするように、卵を額に何度かあてて、少女のような笑顔でありがとうと言った。
結局、わたしは義母に卵を進呈しつづけるだろう。ケチなわたしでも、喜びを感じたいのだ。

大麦畑と酪農、誘拐について

前回の記事。思わせぶりに書いてしまい、わりと大きな誤解を招いたようなので、二つのことをさらに書き足しておこうと思います。コメントをくださった方へのお返事のような感じなので、今回は丁寧語で。

一つ目は、わたしがいま草刈りをしている大麦畑と酪農の関係です。
海辺の町であるクミシュテペの主な産業は漁業ですが、その他にも農業や牧畜業があります。うちは小規模ながら牛と羊を飼っているので、牧畜をしている酪農家ということになります(ハリルがモンゴルで始めたのは、これとはまったく関係ない仕事)。
大麦や小麦の畑は農家が所有していて、作物を植えて収穫しては売り、それが彼らの年収となります。農家によって所有する畑の大きさは異なりますが、クミシュテペ全体の田園地帯は、住宅街から海までの「砂漠」と呼んでいる土地を埋め尽くすほど広大です。作物が植わっていない時期は、畑には雑草が生えるので、そこが「草原」「空き地」「砂漠」といった状態になり、誰が歩いてもいいし、伝統的に牧畜をしている人が家畜の放牧をしてもいいということになっています(その慣習を嫌がって、家畜を入れないようにする農家もいます)。今の季節は草が大きく伸びるので、酪農家は牛や羊に食べさせるために各地を回って雑草を探します。わたしが刈っている場所のように、麦畑の端や畦道によく生えています。雑草だけを刈り、袋に入れて持ち帰り、自分の家畜に与えます。作物にはもちろん手をつけません。大麦を刈り取ったらそれは「収穫」になるし、「窃盗犯」になってしまいます。あくまでも、雑草の草刈りなのです。
作物がない場所に家畜を連れて行って放牧をしてもいいですが、家畜はたいがい雑草より作物が好きです。畑に入って作物に手をつけてしまったら、農家への弁償が大変なことになるので、そうならないよう見張るか、繋ぐ必要があります。そういう作業を、酪農家は毎日しています。うちの場合だと今はナーセル夫婦がしているので、わたしは彼らの作業を少し手伝おうと、草刈りを担当しています。刈った草は、夜ナーセルたちが牛小屋を去るときに餌場に入れられて、牛たちはそれを食べてから休みます。牛は、餌をいくらでも食べることができる家畜なのです。

二つ目ですが、それは誘拐の可能性についてです。
イランで「内臓の売買という犯罪がある」と書いたために、その言葉に大きなショックを受けられたかもしれません。しかしそういった犯罪は非常に稀なことでしょうし、過去にクミシュテペで発生した事例はありません。「内臓の売買もあるし」と言ったのは噂話が好きなお向かいの奥さんであって、わたしはそれを聞いたとき、逮捕された「車に乗った七人のペルシャ人」は、薬物中毒者だろうと思いました。人気のないところで薬物を摂って、たまたま一人でいた男にいたずらしようとでも思ったんじゃないでしょうか。クミシュテペの砂漠は今は収穫前の麦畑ですから、内臓を取るために人を誘拐する目的で来る場所ではないです。クミシュテペの住民は誰も、「どの一族の誰」という肩書で知られ合っています。だからよそ者が来れば、その言動はすぐに人々の記憶の中に記録されるので、ここで誘拐をするリスクは高すぎるのです。
お向かいの奥さんは毎日のように集まりに行っては噂話をし、道端で立ち話をし、町中の人と情報交換をしています。だから多くの出来事を知っているし、それについての尾ひれもきっとついていることでしょう。しかし他の多くの女性と同じように、実際に一人で砂漠に行ったり、草刈りをしたことはない人です。
わたしが草を刈っているのは午前8~10時で、酪農家が牛や羊を放牧し始める頃です。見えなくなるほど遠くへは行かないし、毎日同じ人たちが放牧したり通り過ぎたりしている場所に、よそ者が入ってきたら皆がすぐに異変を感じます。そして監視されるでしょう。都会とは違い、一見何もないように見える風景でも多くの人の隠れた目があるし、砂漠人たちの眼力というのは都会人の想像を超えています。わたしには点にしか見えない人影も、男女の別を見分けるし、誰が何しにどこへ向かっているか、分かってしまうのです。そういう意味で、広大な麦畑で一人で作業をしていても、わたしは自分を一人だと感じてはいません。ナーセルも危険だと考えていたら、わたしに草刈りをやめさせるでしょう。ハリルも同じで、危険な場所だったら、わたしを一人住まわせたりしないです。わたしに長いあいだ自転車を買い与えなかったのも、クミシュテペの悪質な道路とドライバーを鑑みて心配だったからじゃないかと、今では分かってきました。彼自身は非常に慎重なドライバーですが、それでもバイクに乗っていたところを後ろから車にはねられた経験があるので、なおさら心配なのだと思います。

以上、大麦畑と酪農の関係、そして誘拐の可能性についてでした。長すぎて、読まれないことがありませんように(笑)。

モンゴルとイラン

モンゴル人のハリルの同僚が、写真を送ってくれた。ウランバートルではなく郊外に行っているようで、牧場の写真だった。

思わずハリルのお腹まわりをチェック。写真のために凹ませているか?

モンゴルでも、トルクメンサハラと変わらないような写真に苦笑してしまうが、遠景がちょっと違う。それに、あちらはまだ寒いようだ。調べてみると、モンゴルは一年を通じて気温が東京より低い。


それにしても、この風景は絵画のようじゃないか。子牛(シンメンタール)がいる。彼らの仕事柄、これらは肉となる運命なのだろう。

次は、わたしの仕事場の写真。毎朝2時間くらい、草刈りをしている麦畑はこんなところだ。

この道を自転車で走り、左右にある細い畦道を歩いて入る

マイテリトリー。この辺り一面はすでに刈ってしまった

麦畑の端にはたいてい雑草が生えているのだが、酪農家はそれを手で刈って牛にやっている。この時期に青い草をたくさん食べさせることは大事なのだそうだ。

大麦。黄金色に変わりつつある部分もある

今日の狩り場。じゃなくて、刈り場。道具は鎌1本と袋4枚


しゃがんでみると、麦以外の草がよく見える


今日は2時間くらいで4袋分刈った。花粉が飛んで鼻水が垂れてくるが、そこは根性で乗り切る(しかし最後の30分くらいは、もう牛乳と紅茶のことしか考えていない)。袋をまとめて置いておけば、ナーセルがバイクで回収しにきてくれる。
遠くに羊飼いと小さな群れが見えたりして、アレルギーさえなければ最高の仕事場だ。しかし今朝は、向かいのアフーンの奥さんから「砂漠はあまり遠くへ行くな」と注意された。町の男性がひとりで砂漠にいたところ、車に乗ったペルシャ人が7人来て、さらわれそうになったそうだ。携帯電話で助けを求めて警察が来たので助かったそうだが、イランでは内臓の売買などの犯罪もあるようなので、危険だという。まさかクミシュテペでそんなことに巻き込まれないだろうとは思うが、それが起きたのはつい先週のことだそうだ。
アーフンの奥さんは人がいいのだがおしゃべりで、町の噂はすべて知っていると思うほど。先日は、11歳のこどもが犬を怖がって排水溝に落ち、溺死したという話をしてくれた。これもクミシュテペの話。

幸福な日常

今日は午前中に2時間、草刈りをした。麦畑のあいだの畦道のような場所で、谷のような地形の斜面に生えている草を刈ったので、2時間かけても4袋にしかならなかった。わたしは麦に花粉アレルギーがあるのだが、二日間降った雨のおかげで症状がまったく出なかったことがせめてもの救いだ。
しかし朝飯前のその労働はきつすぎて、帰りの自転車をどうやって漕いだか思いだせないほど。途中でスカーフをちゃんと被っていないことに気づいて直したのは覚えているのだが…。家に戻り、紅茶を沸かしながら冷蔵庫にあるものをどんどん口に入れた。ポテトサラダやケーキがあった。そして最高のミルクティーを飲みながらパンをかじり、またケーキを食べて満腹にしてから、ベッドに入った。部活帰りの中学生のようだった。いや、中学生はもっと体力あるか。
起きたら正午を過ぎていたので、慌てて市場へ。市場ではまたたくさん買い込んで、重い荷物を担いで帰ってきた。15キロはあったと思う。またお茶を飲んでなにか食べて、横になった。もう今日はこれ以上の肉体労働は無理だと思ったが、犬猫の餌を取りに行くという仕事が残っていた。コイネクを脱いで、ジーンズを履き、自転車に跨る。

今日の買物

さらにこれもです。メロンとカリンの香りが家に充満している

このほかに、先週買ったガラスの保存容器を買い足した。先週は一つ5,000トマンの容器を4個買ったら1個4,000トマンにしてくれたのに、今週は4,500トマンにするなどと言っている。「先週4,000トマンだったじゃん!」と訴えて、安くしてもらった。500トマンは12円くらいなのに、またケチケチしてしまったー


サブジもきれいにして、明日はこれを入れたアシュというスープを作ろうと思っている。写真は3,000トマン分で、日本円にすると76円くらい。イラニアン・リヤルが暴落しているようだが、どうなってしまうんだろう。

BEFORE


AFTER

ハリルと今後の生活

ハリルがモンゴルへ旅立ってから、十週間が過ぎた。彼はモンゴルで何をしているかというと、肉を輸出する会社を立ち上げている。まずはイランへの輸出作業を進めているようだが、将来は別の国に売る可能性もあるのかもしれない。
わたしは三月に日本に帰国してウェブショップを開店する予定を立てていたので、彼がその前に二週間だけモンゴルに行って、戻ってくるという約束だった。しかしハリルは、それから今まで戻ってきていない。わたしは日本旅行をキャンセルした。刺繍の販売が旅の目的だったので、チケットを無駄にした上に長い時間をかけて掴んだチャンスを逃し、これがわたしの怒りの原因となった。今では怒りも収まって、ただただ諦めの気持ちに変わっている。わたしの刺繍仕事はお小遣いにすらならないが、ハリルの仕事は家計、つまりこれからの生活に大きく関わっている。
ところで、なぜわたしが日本行きをキャンセルしてしまったか。それはひとえに犬猫の世話があるからだ。家は閉めていけばいいけれど、牛と羊の世話を全面的に任されたナーセル夫婦が、二ヶ所に20匹以上いる犬と猫の面倒まで見られるはずがない(見る気もないだろう)。彼らには四人のこどもと、歩けない母親もいるのだ。わたしはかなり慎重に推量し、チケットを捨てるという判断をした。犬と猫を見捨てるつもりでクミシュテペを去ってもよかったが、天秤にかけたら犬猫が重くなった。
モンゴルでの肉の仕事はまだ立ち上げたばかりで、一年くらいは現地でいろいろと手配することがあるようだ。もちろんハリル一人で仕事しているわけではなく、モンゴル側とイラン側両方にパートナーがいて、現地の人とチームを組んでやっている。しかしハリルがその中心にあるようなので、不在にするわけにはいかないらしい。そうなると、当面わたしはハリル不在のままクミシュテペでの生活が続くのだろうか。

モンゴルの工場の外で。短期間でかなり老けたようだが…

ハリルと暮らすようになって以来、「ハリルがいなくなったらわたしはどうなるんだろうか」と思わない日はないくらい、それは重要なテーマだった。彼はわたしの人生を支配してしまうほど、影響力のある人間だ。東京で仕事をしていたわたしをスウェーデンへ、イランへと導き、さらにモンゴルに連れて行こうとしている。
モンゴルは魅力的だ。司馬遼太郎のモンゴルに関する本を二冊読んだけれど、彼自身がモンゴルびいきのせいもあって、ロマンチックな幻想が広がる。しかし現実は、砂漠生活を夢見てクミシュテペに来て六年のわたしだから確信するが、そういうことではないだろう。現に、モンゴルの手つかずの自然と素朴な人間に魅せられているハリルでも、野菜やハーブ、果物がないことに参っているようだ。わたしたちにとって、生きていく上で食事の内容は一番大事なことなので、クミシュテペの生活をやめてモンゴルに移ることは考え難い。
イランでは約一ヶ月後に、ラマダン(断食月)が始まる。その前に、ハリルが帰ってこようとこまいとわたしはクミシュテペを去るからね、と脅しをかけてあるので、ひょっとすると一旦戻るだろう。その後どうなるかは、なってみないと分からない。

最新記事

(07/22)
(07/19)
(07/19)
(07/18)
(07/18)

プロフィール

イランのトルクメンサハラに移住した日本人クミコです。中央アジアの少数民族トルクメンの夫と、その家族や動物との日常を綴ります。
2006年にスウェーデンで始めたこのブログは、4回引越をして今に至りました。過去のサイトはリンクより閲覧できます。

連絡先:sabakujin at gmail dot com

P R

Copyright ©  -- 砂漠人5 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]