忍者ブログ

砂漠人5

トルクメンサハラの暮らし

   
カテゴリー「トルクメン・イラン」の記事一覧

トルクメンの靴下

気候が変わったので、衣替えを始めている。冬物のセーターなどを洗濯して、虫がつかないようにビニールの袋に入れたあとスーツケースに入れて、クロゼットにしまう。衣替えついでに衣類の断捨離もしたのだが、その際、ずっと放ってあった2~3足の靴下を見つけた。

これは市場で買ったもので、トルクメンの手編みの靴下。素材はウールではなくアクリルのような化繊である。数回履いたような感じだが、まだ新しい。

これも市場で買ったものだが、トルクメンのものかペルシャ人のものか、それ以外か、まったく分からない。けれど、トルクメンの伝統的な手仕事を売っている店で買ったので、トルクメンの可能性が高い。それにしては、非常にモダンな色柄だけれど。
数年前、トルクメンの手編みの靴下を日本で販売しようと思っていて、いろいろ調査していた際に買った2足だが、よく見ると青い方はかなり日焼けしているし、靴下を扱う気は今はないので、洗濯して来年自分で履くことにした。

これも典型的なトルクメンの手編みの靴下。トルクメニスタンの人におみやげでもらったものだ。自分で履いていたのだが、かかとの部分がほつれてきたので、これも来年直して履こうと思っている。しかし編み直し方が分からないので、かがるだけになりそうだ。
しかしトルクメンの仕事は大概において雑だと感じることが多いのだが、女性の手仕事となるとなぜこんなにも緻密なものができあがるのだろう。特に刺繍と編物はそう。本当に不思議でアルヨ。

最後に、古いスーツケースの上に乗っているのは、わたしが持っているスカーフのすべて。数えたら18枚もあった。ろくに被りもしないのに、よくもこんなに集めたものだ。自分で買ったのは半分くらい、もらいものが半分。しかも、この他に未使用のスカーフがまだ何枚もある。これらは断捨離しがいがあるが、するつもりはない。これからとっかえひっかえ被って、クミシュテペのファッションリーダーを目指すことにする。

PR

縫製のこと

今日は水曜市場でバラック用の布地を買い足した。市場は、町の中心にあるいくつかの通りに毎週一回、屋台がずらっと並ぶ。生地屋さんや絨毯用の糸、民芸品などの店はうちから一番遠い一角にあるので、たいていハリルにバイクで連れていってもらい、そこから市場をひととおり歩いて自宅に戻っている。
いつも行くのは、トルクメニスタンからの品物も置いている店だ。置いているとはいっても、バラック(ズボン)以外はたいしたものはなく、過去に掘り出しものを見つけた記憶もない。けれどバラックは、地元のものも含めてたくさん扱っているので、今日は既製品をチェックしてきた。わたしがずっと取り組んできた「品質」の一例が、一目で理解してもらえると思う。

緑色の生地に大きな刺繍が施されたすばらしいバラック。これは、「クモ」の模様だ。もちろん、手で刺したもので、色づかいも伝統を受けついでいながらもモダンであり、すてきだと思う。値段は飛びぬけて高いけれど、これなら自分用に買いたい。しかし問題は、バラック事体の縫製なのだ。

バラックを裏返すと、こうなっている。これは決して雑に縫ったものではなく、クミシュテペのスタンダードなのだとわたしは結論づけている。見る人が日本人なら、ほぼ同じ印象を抱くと思うのだが、どうだろう? けれども、きちんと縫ってあって、ほつれてくるわけではない。下着なので、布地が擦り切れるまで履いて、擦り切れたところは新しい布で縫い直すことのできる作りになっている。実際に、縫い直して履いている人がいるかどうかは、はなはだ疑問だが。
そんなわけで、縫製は自分でしようと誓いを新たにしたのだった。ものすごくハイクオリティを求めている訳ではないけれど、このクミシュテペクオリティは、わたしの店に置くわけにはいかない。

しかしクミシュテペには、独自のクオリティがある。今朝は早くからナーセルの奥さんがうちに来て、鶏を一羽持っていった(目が覚めて寝室を出たら、玄関のたたきに人が立っていて、思わずのけぞった!)。トルクメニスタンからお客さんが来ているので、なにかご馳走をこしらえようという話が昨夜まとまったそうなのだ。ハリルが雄鶏を捕まえて、袋に入れるかと思いきや、奥さんは羽をクロスさせて飛べないようにし、そのまま持っていった。「コケーッ!」と叫ぶ鶏をぶら下げて、15分くらいだろうか。


あばよ!

チュズムチ

下絵を描いたズボンを、義母に渡してきた。昨日は、電話で仕事があるかを問う彼女を危うく怒らせるところだったので(いや、怒ったかも)、早いうちに挽回しておこうとがんばった。

これはバラック(ズボン)の裾に、刺繍のための下絵を描いたところ。ズボンを縫うこと、下絵を描くこと、刺繍を刺すことはまったく別の作業で、職人はそれぞれ別にいる。布を縫う人を「ハイアーティ(ペルシャ語)」、下絵を描く人を「チュズムチ」、刺繍をする人を「ディキンチ」と呼ぶ。わたしの下絵描きはまったくの自己流なので、そのうち本職の女性がどうやっているのかを見たいと思っている。
布に描くためのペンは、日本から持ってきたPILOTのフリクションボール(温度差で消えるペン)を使っている。布に描く前に、参考にする図案を紙に描いてみて、縦横の比率や曲線の角度などを勉強している。今のところ分かってきたことは、チェーンステッチの1本を1.5mmくらいに換算して描けばいいということだ。非常に細かい刺繍なので、適当に線を引いただけでは刺し手が困る下絵になってしまうのだ。計算機を手元に置いて、指で本数を数えながら作業している。トルクメンがそんなことをするはずはないのだけれどね。


お手本にしたバラック

今回バラックに描いた模様は、「スカーフ」の模様だそうだ。これは、スカーフにプリントされたペイズリー柄をモチーフにしたに違いない。トルクメン刺繍の模様はほぼすべてが幾何学模様なので、変形してしまって独特の形になったものも多いのだが、模様の名前そのものが見いだせるものもある。
バラックの伝統的な作り方は、初めに裾の部分だけを縫い、刺繍を仕上げてから、それより上の部分を縫い足す方法だが、最近では最初から一枚の布でズボン全体を縫った後で、裾の刺繍をしている人も多いようだ。
昔のバラックは、手織りの赤い生地に草木染の絹糸で刺繍を施していた。しかし今ではその布はまず手に入らないので、綿または綿に近い素材の布が使われている。生地は暗い色が好まれ、下絵は白いペンで描かれる。驚いたことに、日本のメーカーのペンがクミシュテペでも売っていた(その製品は、日本では売っていない)。しかし義母は目がよく見えず、暗い色の布に暗い色の糸で刺すのが大変なので、このごろは明るい色の生地を好んで刺している。生地や用途によって巧みに変化する彼女の色づかいは、容易にできるものではない。真似しようと思っても、それすら難しいだろう。


今日買い取ってきた刺繍

最後の最後で緑と青を見まちがえたようで、均等でない箇所もあるのだが、指摘してもなお違いが見えなかったようだ。でも、86歳のパッマダイザが刺したこのタブローには、その価値がある。額に入れて家に飾りたいと思っている。本人は売る気満々だったのだが、お店としては迷うところだ(笑)。

折りたたみバッグ

問題です。これは何でしょう? って、タイトルに書いてありますが。

開くとバッグになり、ポケットにはトルクメン刺繍を施してある。

刺繍はテープではなく、ポケットに直接刺してある。緑の線に囲まれた四角は、一辺が2センチなので、一針がどのくらい細かいか分かるだろう。チェーンステッチなのだが、一針は1ミリ以下の間隔で繋がっている。


別の配色

次回は、ぐっと品質を上げて、刺繍の民芸品を日本で販売したい。トルクメンの女性が刺繍をするのは、趣味ではなくて、収入のためなのだ。わたしがそのことにはっきりと気がついたのは、この1~2年のことだ。もちろん、刺し手は数ある手仕事の中から刺繍を選んだくらいだから好きでしているのだろうけど、お祝いなどのプレゼントでなければ、ただでは刺してくれない。刺したら、お金にするものだからだ。仕事をしたい女性はたくさんいるので、日本でわたしが市場を開拓できれば、地元の女性の収入を増やすことができるだろう。それが産業となれば夢のようだが、今はそんな大きなことは狙わずに、まずは去年より多くの製品を作り、より多くの人に知ってもらう方法を探っていきたいと思っている。
しかし現実は、限られた条件の中で模索するばかりで、なかなか厳しい。地道に進むのみだ。

トルクメン・バラック

今日はようやく「トルクメン・バラック」、トルクメンのズボンの縫い方を習い始めた。七十年以上の経験のある義母に、一から教わろうと思っている。トルクメンが日常的に縫っているものなので、そんなに複雑ではないはずだが、チャコペンや定規のない時代から縫われている、その方法を覚えるつもりだ。
トルクメンのズボンは、女性用も男性用もいわゆるサルエルパンツである。ゆったりとしたズボンにゴムを入れて腰骨に引っかけて履くのだが、一番の特徴は、二本の脚のあいだに布が一枚縫い足されているため、股のところがやたらにゆるいことだろう。そのため、飛び跳ねてもしゃがんでも、180度の開脚をしても、股の部分がストレスフリーなのである。履き慣れると、西洋風のパンツは履けなくなってしまうほど快適だ。


ズボンの下の部分

女性用のズボンは、裾にきれいな刺繍をすることになっている。義母が若いときは、最低でも二種類の模様を刺さないと怠け者だと思われたそうだ。裾から20cmくらいもある大きな刺繍を施したズボンを、女性はワンピースの下に履いていた。今では、クミシュテペのほとんどの女性は、1cmほどの小さな模様を刺したズボンを履いている。それはやはり、刺繍にかける時間がなくなったことが原因のようだ。これではミシンで刺した刺繍のズボンを履く人が増えるのも、時間の問題だろうと思う。


裾の部分は布を重ねて厚くする


両足の裾が同じ長さになるように縫う

義母は自分の手をものさしにして、布の長さや幅を測る。おそらく、定規は使ったことがないだろう。彼女が手を大きく開いたときの長さは、23cmもあった(わたしの手では20cm)。やっぱりハリルの母だと思った。もうミシンを使わないので、ミシン掛けをしてくれる人が見つからないときは、自分の手で仮縫いしているようだ。
義母に古典的な縫い方を習うものの、わたしは国外でも売れる商品にするために、裾の始末などを洗練された方法にして、ズボンの品質を高めたいと思っている。

上は、今日義母が刺繍していたトルクメン・バラック。図案はたしか、ペイズリー模様だったと思う。彼女の色づかいのうち、これはポップな方だ。いつも布地に合わせて本当に上手に配色している。

イランの養殖エビ

カスピ海東岸のクミシュテペ(グミシャン)では、数年前からエビの養殖が本格的に始まった。当時、うちは大きな羊の群れを持っていたので、羊飼いを雇って町から外れた砂漠に放していた。それは国境の町クミシュテペとトルクメニスタンのあいだにある、延々と続く砂漠地帯で、そこに養殖場ができたのだ。
養殖場ができる前は、カスピ海から引いた水路の両脇に羊飼いの住むユルタがぽつぽつとあり、人工物のない静かな場所だった。ところが数年のうちに、その景色はどんどん変わっていった。エビ用のプールがたくさんできて、水路から水が引かれ、出入りする労働者が増えてコンテナが多く建った。町から向かって水路にたどり着く前に国境警備の検問があったのだが、今ではそれもなくなったと聞いている。養殖場よりさらに北の、トルクメニスタン側へ移動したのかもしれない。
先日、ハリルがその養殖エビを2キロ買ってくれた。以前に養殖場を見学に行った際に持って帰ってきたエビは、ものすごく大きかった記憶があるのだが、今回のものは小さめだった。シーズももう終わるのだそうだ。


頭と殻と背ワタを取ったら、2キロが1キロくらいになった


頭はにんにくオイルで炒めて、スープを取る


スープもすばらしい味!

きれいにしたエビとスープは、小分けにして冷凍保存した。中華風炒めにすることが多いのだが、今回はえび餃子を作ってみたいと思っている。そしてもちろん、処理しながら醤油をつけて、刺身でたくさん食べてしまった。甘いし、うまみがあってたまらない。ちなみに出がらしのエビの頭は、パンの餌に混ぜて犬と猫にやった。犬猫は、いつもはナーセルが魚市場からもらってくる処理後の頭と殻を生でむしゃむしゃと食べている。
養殖場ができて、多くのトルクメンもそこで働くようになった。わたしが唯一好感を持てた、大工職人もそこで働いているようだ。大工の腕があるのに、単純労働であろう、エビの養殖の仕事の方が収入がいいのかもしれない。エビは国外にも輸出されているようだが、これで儲けているのは決してトルクメンではないだろう。地元の人は土地と労働力を使われても、その産業の主になることはない。この新しい産業がクミシュテペにどんな影響を与えていくのか、興味のあるところだ。近くでエビが手に入ることは、大歓迎なのですが。

チャウドゥルの配色

先日の配色の答えは、緑でした。
トルクメンの刺繍は、部族ごとに特徴が異なるけれど、それぞれに配色のルールがあるようだ。ヨムートの場合、太い線の内側に別の色で細い線で刺して、色を際立たせることがほとんどだ。チャウドゥルの場合、赤い色の布に刺すので、太い線の内側はあまり刺繍しない。おそらく、刺してしまうと布の面積が減って、色のバランスが崩れるからだろう。
…ものすごくマニアックになってきて、どうでもいいと思う人がほとんどかもしれないが(笑)。


誰でしょう?


ガラジャ(向かいの家がうちに捨てた雄猫)。とってもチャーミング

最新記事

プロフィール

イランのトルクメンサハラに移住した日本人クミコです。中央アジアの少数民族トルクメンの夫と、その家族や動物との日常を綴ります。
2006年にスウェーデンで始めたこのブログは、4回引越をして今に至りました。過去のサイトはリンクより閲覧できます。

連絡先:sabakujin at gmail dot com

P R

Copyright ©  -- 砂漠人5 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]