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砂漠人5

トルクメンサハラの暮らし

   
カテゴリー「トルクメン・イラン」の記事一覧

トルクメン絨毯

ペルシャ絨毯は日本でも有名だけれど、トルクメンの絨毯も世界的にはよく知られている。その特徴は、鮮やかな赤い色と、緻密に織られた幾何学模様だろう。


この小さな絨毯は古いものだが状態がよく、家で使うために買った。クミシュテペにはいくつもの絨毯屋があって、その中でも一番の老舗、ハリルのいとこの店で手に入れた。店主はトルクメンサハラの町で開かれるあらゆる市場を回っているので、すてきなのがあったら買ってほしいと頼んでおいたのだ。

細長いこれも、古いトルクメンの絨毯


手前の二枚は、百年も前のものだと店主は言っていた。最近織られたものとは素材も違い、使われている糸の色数も多い。


今日手に入れた4枚を床のあちこちに敷いてみて、楽しんでいる。近所の家に行くと、まったく隙間がないように絨毯を敷き詰めている家がほとんどなので、うちもまだまだ隙間を埋められるだろう。絨毯を敷けば、その下のカーペットも汚れにくくなるので、もうカーペットの洗濯をしなくていいかも!


細長いのは、玄関前にはサイズが合っていないので、いずれ二階の廊下に敷くつもりだ。そういえば少し前に、二階のサロンに敷くための古いキリムも買っていたのだった。


かなり古いもので、表面は色がほとんど褪せていた。裏返ってみえる濃い色の面が、裏面だ。特徴的なトルクメンの色や模様は健在なので、敷くのを楽しみにしている。

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犠牲祭2017

犠牲祭はつつがなく終わった。犠牲の羊を切り、肉を切り分けて冷凍し、お客さんをもてなし、肉を食べて盛り上がった。いや、実際うちは盛り上がっていないけれど、町ではそうだったはずだ。
初日の午後はナーセルが羊を連れてきて、首を切って皮を剥ぎ、部位ごとに切り落としてくれた。それを一日冷蔵庫に置いておき、翌日ハリルが細かく切り分けたものを、わたしが冷凍した。脂肪と内臓だけは傷むのが早いので、初日に処理をして冷凍しなければならない。



動物と遊ぶナーセルの息子。犠牲を切ってくれるのは、まだ十年以上先か

リッチになった冷凍庫

上の二段が今回の犠牲、雄の羊を収納したところ。脂肪も十分にあって、肉もたっぷり取れた。このほかに、鍋二つ分の肉とリブを煮ておいた。羊肉は調理に時間がかかるので、あらかじめ火を通しておいた肉も常備しておくと便利なのだ。
夜は義母の家に行き、肉をごちそうになった。羊肉と少量のたまねぎを水で煮込んで塩をしただけのものが、お皿に乗って出てきた。肉のうまみそのものを味わうことができる。茹でただけでも、脂身がたっぷりあって、それはとてもあまいのだ。
わたしはレモンジュースを絞ってかけて食べるのが好きだが、それは消化を助けるはたらきもある。ナーセルは、ゆっくりと時間をかけてお皿の肉を食べたあと、スプーンの上でレモンを絞って、ひょいっと口に運んでいた。ナーセルの食べ方にはいろいろと決まりがあって、それは必ずしも理に適っているとは思えないのだが、決まりを破らないところはさすがよいムスリムを自負しているだけあると思う。先日は暑い中、外で作業をしているとき、水をくれというので「冷えたメロンもあるよ!」と言ったら、「今はメロンを食す時間ではありません」と言っていた。わははは


さて、うちでは水も入れずに、肉だけを鍋に入れて弱火にかけて加熱済の肉を用意する。肉から脂と水分が十分に出るので、最後に塩をふるだけでよい。
このまま食べてもおいしいけれど、たまねぎやトマトと一緒に煮込むと、旨みがありすぎのおいしすぎの一品となる。これは口にしてみないことには、おいしさが分からないかもしれない。


来客用には紅茶のパウンドケーキいちじくマフィンを焼いた。例によってほとんど来客はなかったけれど、今年初めて分かったことは、小さなこどもたちには、お年玉のようにお祝いのお金を渡すべきだということ。こどもたちが来なくなったのは、毎年うちがお金をあげなかったからかも?

ところで犠牲となった雄の羊の頭は、今も庭に転がっている。頭を使って特別なスープを作ることができるのに、切ったあと地面に置きっぱなしで猫が触ったから、食べられない(ハラム)とナーセルが言ったのだ。ハリルが「水でさっと洗えばいいんじゃないか?」と言ったけれど、無視されていた。そんなわけで犬と猫にやったのだった。初日は毛も生えたまま、目もついていた。タロ子が抱えて齧っていたけれど、三日目にはつるつるの白いガイコツになっていた。すべてを突いたのは、鶏たちだ。

チュズムチ

高校を卒業する姪から、チュズムチの仕事をもらった。チュズムチとは、トルクメン刺繍のための図案を描く職人のことだ。月曜日に「水曜日までにアンナック用の模様を10本描いてほしい」と依頼があった。つまりは、二日のあいだに10本を描かなければならない。家事や鶏の世話の合間にできるだろうか? と思いつつも、これは自分のトレーニングになると思い、引き受けた。わたしの作図が上手だということで、相場よりも高い値段を姪が交渉してきてくれたのだが、それは自分の店の商品を作る際にわたしが支払う金額よりも低かった。


できました、10本。10種類の模様を描くつもりだったが、途中で断念して5種類の模様を2本ずつ描いた。描きながら、アンナックは誰が刺すのか、どこからこの仕事をもらってきたのかなど、姪に聞いてみた。これらは学校に持っていって、彼女と同じくデザインを習っている学生が刺すそうだ。これを持っていくと、姪のポイントがつく(?)というので、「ワタシが働く、アンタの査定が上がるアルネ!」などと恩着せがましく言ってみたのだが、彼女は「?」といった顔をしていた。それもそのはず、後でハリルに聞いたら、これらは彼女たちの試験に使われるそうだ。つまり、学生がそれぞれの色で刺繍を施して、それが採点されるということだった。わたしのトルクメン語が未熟なために、こういった会話の成り立たなさはよく起こる。

ざくろ

名称分からず

鳥の羽

ハート

名称分からず

ちなみに、試験を受ける学生がこの模様の描かれた布を買うそうだ。わたしの報酬は、彼女たちからもらうことになる。
描くだけならまだしも、この布を縫うのも仕事のうちに入っていて、その方がよっぽど時間がかかった。しかも、布代はわたし持ち! 余った布で作ったので、問題ないけれど。

ラマダン

今年のラマダンも、ついに最後の日となった。ラマダンとはイスラム教の決まりで、一年のうちの決められた一ヶ月間、日が昇っている間に飲食を断つことだ。イランはイスラム共和国なので、国の決まりとしても断食をしなければならず、犯せば罰せられるそうだが、テヘランでは隠れて食べている人も結構いると聞いている。病人、旅人、重労働をしている人など、断食を免れる場合もあるというものの、田舎のクミシュテペではそういう雰囲気はない。いずれにしても、ラマダン中の断食は、当然することであって、ムスリムにとって「やる/やらない」の選択肢はないのだ。
「よく断食なんかするね。」
「わたしにはムリ。」
この二つがムスリムでない人がラマダンについて感じる最たるものだと思うが、これはムスリムからするとまったくナンセンスな考えだろう。なぜならば、上に書いたとおり、断食をするかしないかは自分で選ぶことではないし、断食には「ムリ」なことを日々強いられている人々の気持ちを理解するという側面もあるので、「わたしはムリ」と言う人ほどそれを経験すべきだとも言える。実際に飢えている人間はこの世界には大勢いて、彼らは夜になっても明日になっても、喉がカラカラのまま日々を過ごさなければならない。そしてひょっとしたらのどの渇きが癒されないまま、命が絶えることもあるだろう。そういう境遇にある人間について、思いを巡らせることは大事なのだと思う。

サチャック


さて、これは何でしょう?


正解は、パンを包んで保管しておくための布でした。トルクメニスタンからのお客さんにお土産でいただいたものだが、ラクダの毛で織ってあるので、アリなどがつかないとのこと。クミシュテペでは家の中をアリが歩いていることはアリがちだが、トルクメンの住む砂漠一帯でも似たような生活なのだろう。わたしは食べかけのパンはすぐに冷凍してしまうか、放っておいて固くなったら動物の餌にするかしていたけれど、しばらくこれに包んで保管してみようと思う。トルクメンはパンを直接テーブルクロスに置くし、直接布を巻いて保管する。うちでは竹のカゴに入れて食卓に出すことが多いので、カゴごと包んでしまえばよさそうだ。


色味もすてきなこの布は、テーブルクロスと同じくサチャックと言う。綿のテーブルクロスを巻いてパンを保管するのも一般的だ。

トルクメンの靴下

気候が変わったので、衣替えを始めている。冬物のセーターなどを洗濯して、虫がつかないようにビニールの袋に入れたあとスーツケースに入れて、クロゼットにしまう。衣替えついでに衣類の断捨離もしたのだが、その際、ずっと放ってあった2~3足の靴下を見つけた。

これは市場で買ったもので、トルクメンの手編みの靴下。素材はウールではなくアクリルのような化繊である。数回履いたような感じだが、まだ新しい。

これも市場で買ったものだが、トルクメンのものかペルシャ人のものか、それ以外か、まったく分からない。けれど、トルクメンの伝統的な手仕事を売っている店で買ったので、トルクメンの可能性が高い。それにしては、非常にモダンな色柄だけれど。
数年前、トルクメンの手編みの靴下を日本で販売しようと思っていて、いろいろ調査していた際に買った2足だが、よく見ると青い方はかなり日焼けしているし、靴下を扱う気は今はないので、洗濯して来年自分で履くことにした。

これも典型的なトルクメンの手編みの靴下。トルクメニスタンの人におみやげでもらったものだ。自分で履いていたのだが、かかとの部分がほつれてきたので、これも来年直して履こうと思っている。しかし編み直し方が分からないので、かがるだけになりそうだ。
しかしトルクメンの仕事は大概において雑だと感じることが多いのだが、女性の手仕事となるとなぜこんなにも緻密なものができあがるのだろう。特に刺繍と編物はそう。本当に不思議でアルヨ。

最後に、古いスーツケースの上に乗っているのは、わたしが持っているスカーフのすべて。数えたら18枚もあった。ろくに被りもしないのに、よくもこんなに集めたものだ。自分で買ったのは半分くらい、もらいものが半分。しかも、この他に未使用のスカーフがまだ何枚もある。これらは断捨離しがいがあるが、するつもりはない。これからとっかえひっかえ被って、クミシュテペのファッションリーダーを目指すことにする。

縫製のこと

今日は水曜市場でバラック用の布地を買い足した。市場は、町の中心にあるいくつかの通りに毎週一回、屋台がずらっと並ぶ。生地屋さんや絨毯用の糸、民芸品などの店はうちから一番遠い一角にあるので、たいていハリルにバイクで連れていってもらい、そこから市場をひととおり歩いて自宅に戻っている。
いつも行くのは、トルクメニスタンからの品物も置いている店だ。置いているとはいっても、バラック(ズボン)以外はたいしたものはなく、過去に掘り出しものを見つけた記憶もない。けれどバラックは、地元のものも含めてたくさん扱っているので、今日は既製品をチェックしてきた。わたしがずっと取り組んできた「品質」の一例が、一目で理解してもらえると思う。

緑色の生地に大きな刺繍が施されたすばらしいバラック。これは、「クモ」の模様だ。もちろん、手で刺したもので、色づかいも伝統を受けついでいながらもモダンであり、すてきだと思う。値段は飛びぬけて高いけれど、これなら自分用に買いたい。しかし問題は、バラック事体の縫製なのだ。

バラックを裏返すと、こうなっている。これは決して雑に縫ったものではなく、クミシュテペのスタンダードなのだとわたしは結論づけている。見る人が日本人なら、ほぼ同じ印象を抱くと思うのだが、どうだろう? けれども、きちんと縫ってあって、ほつれてくるわけではない。下着なので、布地が擦り切れるまで履いて、擦り切れたところは新しい布で縫い直すことのできる作りになっている。実際に、縫い直して履いている人がいるかどうかは、はなはだ疑問だが。
そんなわけで、縫製は自分でしようと誓いを新たにしたのだった。ものすごくハイクオリティを求めている訳ではないけれど、このクミシュテペクオリティは、わたしの店に置くわけにはいかない。

しかしクミシュテペには、独自のクオリティがある。今朝は早くからナーセルの奥さんがうちに来て、鶏を一羽持っていった(目が覚めて寝室を出たら、玄関のたたきに人が立っていて、思わずのけぞった!)。トルクメニスタンからお客さんが来ているので、なにかご馳走をこしらえようという話が昨夜まとまったそうなのだ。ハリルが雄鶏を捕まえて、袋に入れるかと思いきや、奥さんは羽をクロスさせて飛べないようにし、そのまま持っていった。「コケーッ!」と叫ぶ鶏をぶら下げて、15分くらいだろうか。


あばよ!

プロフィール

イランのトルクメンサハラに移住した日本人クミコです。中央アジアの少数民族トルクメンの夫と、その家族や動物との日常を綴ります。
2006年にスウェーデンで始めたこのブログは、4回引越をして今に至りました。過去のサイトはリンクより閲覧できます。

連絡先:sabakujin at gmail dot com

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