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砂漠人5

トルクメンサハラの暮らし

   
カテゴリー「トルクメン・イラン」の記事一覧

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イランの養殖エビ

カスピ海東岸のクミシュテペ(グミシャン)では、数年前からエビの養殖が本格的に始まった。当時、うちは大きな羊の群れを持っていたので、羊飼いを雇って町から外れた砂漠に放していた。それは国境の町クミシュテペとトルクメニスタンのあいだにある、延々と続く砂漠地帯で、そこに養殖場ができたのだ。
養殖場ができる前は、カスピ海から引いた水路の両脇に羊飼いの住むユルタがぽつぽつとあり、人工物のない静かな場所だった。ところが数年のうちに、その景色はどんどん変わっていった。エビ用のプールがたくさんできて、水路から水が引かれ、出入りする労働者が増えてコンテナが多く建った。町から向かって水路にたどり着く前に国境警備の検問があったのだが、今ではそれもなくなったと聞いている。養殖場よりさらに北の、トルクメニスタン側へ移動したのかもしれない。
先日、ハリルがその養殖エビを2キロ買ってくれた。以前に養殖場を見学に行った際に持って帰ってきたエビは、ものすごく大きかった記憶があるのだが、今回のものは小さめだった。シーズももう終わるのだそうだ。


頭と殻と背ワタを取ったら、2キロが1キロくらいになった


頭はにんにくオイルで炒めて、スープを取る


スープもすばらしい味!

きれいにしたエビとスープは、小分けにして冷凍保存した。中華風炒めにすることが多いのだが、今回はえび餃子を作ってみたいと思っている。そしてもちろん、処理しながら醤油をつけて、刺身でたくさん食べてしまった。甘いし、うまみがあってたまらない。ちなみに出がらしのエビの頭は、パンの餌に混ぜて犬と猫にやった。犬猫は、いつもはナーセルが魚市場からもらってくる処理後の頭と殻を生でむしゃむしゃと食べている。
養殖場ができて、多くのトルクメンもそこで働くようになった。わたしが唯一好感を持てた、大工職人もそこで働いているようだ。大工の腕があるのに、単純労働であろう、エビの養殖の仕事の方が収入がいいのかもしれない。エビは国外にも輸出されているようだが、これで儲けているのは決してトルクメンではないだろう。地元の人は土地と労働力を使われても、その産業の主になることはない。この新しい産業がクミシュテペにどんな影響を与えていくのか、興味のあるところだ。近くでエビが手に入ることは、大歓迎なのですが。

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チャウドゥルの配色

先日の配色の答えは、緑でした。
トルクメンの刺繍は、部族ごとに特徴が異なるけれど、それぞれに配色のルールがあるようだ。ヨムートの場合、太い線の内側に別の色で細い線で刺して、色を際立たせることがほとんどだ。チャウドゥルの場合、赤い色の布に刺すので、太い線の内側はあまり刺繍しない。おそらく、刺してしまうと布の面積が減って、色のバランスが崩れるからだろう。
…ものすごくマニアックになってきて、どうでもいいと思う人がほとんどかもしれないが(笑)。


誰でしょう?


ガラジャ(向かいの家がうちに捨てた雄猫)。とってもチャーミング

刺繍の配色

問題:
次のアンナックの刺繍は、あと一色刺したら完成となります。その一色は何色でしょう? 心理テストではありませんよ。配色の問題です。


答えは完成した暁に!

この模様と配色は、「チャウドゥル」というトルクメンの部族のものだ。クミシュテペ市民のほとんどすべては「ヨムード」という部族なので、地元のものとは色柄が異なる。チャウドゥルの作品を見ると、赤い布に刺繍が施され、赤い刺繍糸は使われていない。これが他の部族と大きく異なる特徴だ。わたしはこのチャウドゥルの刺繍が気に入っているので、真似をして刺してみた。ところが途中で気がついたのは、既婚女性が頭の上にアンナックを乗せるのは、ヨムード独特の風習であるということだ。つまり、赤い布でこの配色の刺繍をするチャウドゥルは、アンナックなど作らないので、これは他に存在しないであろう、ヘンテコな作品となってしまった。

日本にいるあいだはほとんどできなかった、トルクメン刺繍の練習を再開している。さすがにスティッチがそれらしくなってきたようだ。日本に行く際の、またイランに戻る際の飛行機の待ち時間にだいぶ刺したのだが、手荷物として持っていた刺繍針1本と先端の丸まった小さなハサミは、オマーンでもタイでもアブダビでも、没収されることはなかった。おかげで長時間の待ちも、退屈することなく過ごすことができた。
これからできるだけパッマダイザ(義母)のところに通って、バラックをゼロから縫うことを覚えたい。

義母の刺繍

今日は義母の家まで歩いて行ってきた。日本から戻って最初に会ったときは、今年も一ヶ月のラマダンを経たからか、一段と小さくなったように見えた義母だが、あいかわらず毎日刺繍をしている。刺繍は、もはや歩けなくなってしまった彼女の人生の大きな部分を占めている。


いつもの窓際で

東京での「さばくの民芸店」は大成功だった。来てくださった方々、応援してくださった方々、本当にありがとうございました。わたしが知らなかった「砂漠人」ブログの読者が何人も会場に足を運んでくださり、驚いたし、ハリルとともにうれしく思いました。
直前に腰痛で入院したわたしは、結局ギャラリーには一度も行くことができなかった。代役を務めてくれたのは、友人の吉田肇子さん。彼女には命を救われた思いだ。ながちゃん、本当にありがとう。
おかげさまで、義母にもいい報告ができた。もっとも、彼女は自分の作品が売れないわけはないと、最初から自信があったようだ。今回はいろいろな作品を少しずつ作ったけれど、これからしばらくは、トルクメン女性の下着「バラック」の製作に集中しようと考えている。このズボンは、女性たちがワンピースの下に着ているものなのだが、展示では男性のお客さんがいろいろ試着した末に一本買ってくれて、なんと、それを履いて店を出て行った。その話を義母たちにしたら、ウケたことウケたこと! トルクメンにとってこれは、男性が近づくことのできない禁断の肌着なのだ。
けれど、この履き心地のいいユニークなズボンは、ヨガパンツなど、日本でも十分に使えるものなので、義母に縫い方を教わりながら、品質をよくしていきたいと思っている。今日、義母が刺していたのも、バラックだ。

灰色の生地に、からし色と黒の刺繍糸だった。あまりに地味な色なので、「男物を作っているのか?」と聞いてしまったほど。すると義母は「違うよ~。女のバラックだよ!」と言い、刺し終った片方の刺繍を見せてくれた。


ナール(ザクロ)の模様

さすが! すばらしい配色だった。彼女は、どうして自分の色味がいいかというと、それは昔風の配色だからだよ、と言う。でも、昔とは刺繍糸の色味が違うし、それは彼女の七十年以上の経験からくる、絶妙な感覚によるものだとわたしは思っている。刺繍が施されたバラックの裾は、さらに黒いテープで縁取りされて仕上がる。

犠牲祭初日

日本から戻って早くも一週間が過ぎ、犠牲祭がやってきた。グルバン・バイラム(トルクメン語で「犠牲祭」)は、トルクメンにとって一年で最大のお祝いごとである。今年のうちの犠牲は、ゴチ(雄羊)だった。いつもナーセルが連れてきて首を切り、捌いてくれる。今日は南庭の雇い人も助っ人で来ていた。


血が流れるように、地面に穴を掘る


頭と足は、スープになる(ナーセルの奥さんが料理)


胴体は吊るして、皮を剥いで、解体していく


肉片を待ち焦がれる猫たち


ナイフを研ぐハリルと犠牲に近づく猫たち

ゴチは縛られて倒れ、おとなしくしていたけれど、その心臓の動きが緊張(恐怖)を表わしていた。わたしの目を見て「助けてくれ~」と言っているように思えたが、ここは犠牲になってもらうしかない状況だ。そういうとき、とっさに合掌して祈りたくなるのは、自分の中の仏教的な一面なのだろう。しかしここはイスラム共和国なので、誰であれ、そういうしぐさはしないのが得策だ。

かくして、待ちに待ったおいしい肉が我が家にもやってまいりました。

 

アンナック

イランから刺しかけのまま持ってきた、アンナックの刺繍を終えた。

日本に向かう飛行機の中では刺さなかったけれど、二回も乗り換えがあったので、その待ち時間にはだいぶ役に立ったのだった。針とハサミはイラン、オマーン、タイのどの空港でも没収されることはなかった。機械が感知しなかったのか、先が尖っていないからか、注意をされることもなかった。ちなみに、ハサミは先が丸まった鼻毛を切るための携帯用のタイプを持っていった。
スティッチはだんだんうまくなっていると自分では実感しているのだが、写真ではそう見えない(笑)。でも今回は、色みがよくなかった。トルクメン刺繍は配色にルールがあって、たとえば赤には青、白には緑を組み合わせる。そのルールは守っているけれど、赤の代わりに使ったピンクが効果的ではなかったようだ。ピンクを使った作品もいくつか見たことがある。それは黒や水色や黄色と組み合わせてかっこいいものだった。いずれにしても今回のアンナックには満足していて、これはわたしが日常的に使うものになると思う。

刺繍

ブログを更新せずに一週間以上、経っていた。じつはあることに夢中になっていて、日常の習慣が少し変わってしまったのだ。


ジャーン。刺繍です

トルクメン刺繍をついに始めてしまった。イランに来て四年も経った今になって、なぜ始めたかというと、仕事を満足に頼める刺し手がいないので、ちょっと自分で刺してみようと思い立ったのだ。どれだけ大変なのか、難しいのか、または簡単なのか、実践して知りたいという気持ちが急に湧いてきた。
義母が名手だったこともあって、来た当初から刺繍には興味があった。ところが彼女が足の指に刺繍糸をかけて撚っているのを見て、自分の仕事じゃないなと感じ、習うことは考えたことがなかったのだ。でももし自分で刺繍ができるようになったら、もう図案は描けるし、作品のすべてを自分で作ることができるだろう。


図案はほかの作品をまねて描き起こす


二作目

ところが実際に刺してみたら、思ったより難しかった! 刺し終ったものを見るとなかなかよくできていると満足したのだが、それから上手な人の作品と比べてみたら、自分のものはひどい出来栄えで、一転して気分が落ち込んだ。なにが違うのだろうとしばらく考えたり刺したりしていたのだが、まずは糸の撚り方がまちがっていたようだ。それからスティッチがトルクメンのように細かくない。わたしの中ではこれが精いっぱいの細かさなのだが、比べるとほかの人よりひとまわり大きい。84歳の義母と同じくらいの粗さである。しばらくは修行を積む必要がありそうだ。

さて、上の模様は、義母が絨毯の図柄を変形させて発案したもの。言葉とジェスチャーによるリクエストを、ここまで形にすることができた。義母にこれで合っているかと聞いたら、「正解」と言っていた。でもトルクメンの「合っている」はその幅が広いので、彼女が思い描いたそのものかどうかは怪しい。中央には義母が即興で模様を刺してくれるだろう。この図案は太い枠を描く必要があったし、単純なあたり線を引くことで描ける模様じゃないので、ボール紙で型紙を作ってから布に写した。ちなみに布のキルティングも自分でするものだ。
図案描きとともにしばらくは刺繍にもはまりそうだが、刺繍を始めて自分も老眼になっていたことに気がついた。もともと近眼でいつもメガネをかけているのだが、手元の刺繍を見るときだけは、メガネを外した方がはっきり見えるのだった。なにげにショック。

プロフィール

イランのトルクメンサハラに移住した日本人クミコです。中央アジアの少数民族トルクメンの夫と、その家族や動物との日常を綴ります。
2006年にスウェーデンで始めたこのブログは、4回引越をして今に至りました。過去のサイトはリンクより閲覧できます。

連絡先:sabakujin at gmail dot com

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