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砂漠人5

トルクメンサハラの暮らし

   
カテゴリー「トルクメン・イラン」の記事一覧

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チュナール

義母とコラボレーションしているトルクメンの雑貨のうち、二つ目の作品ができあがった(第一作はペンケース)。


チュナール

チュナールは弁当包みのようなもので、四角い風呂敷の一角に、紐がついている。四辺と紐が刺繍で縁取られていて、ワンポイントの柄も刺繍されている。図案は、この道70年の義母の頭のなかにあるので、できあがるまでどうなるのか、正確なところはわたしには分からない。どうやってコラボしているかというと、わたしが雑貨の土台を考えて素材を用意し、それに義母が刺繍を施す。チュナールの場合は刺繍で仕上げるので、風呂敷を縫って渡したらできあがっていた。


土台となる小風呂敷

生地は、普段使いにもできるように、茶色のリネンを選んで日本から持ってきた。もっとも、刺繍が繊細なものなので、普段使うかどうかはわたし自身も迷うところだが。


額縁縫い

風呂敷の角は「額縁縫い」にしてある。とても小さな箇所だが、アイロンをあてたり仮縫いをしたりしながらゆっくり仕上げた。トルクメンはこんなにていねいな仕事はしないと思うけれど、このあたりがトルクメンと日本人のコラボの醍醐味だ。


紐のクロースアップ

三つの角にはプルチクがつき、残る一つの角から紐が伸びている。縁や紐の少し内側にも、白い糸で刺繍が施されている。義母のセンスで刺しているのは確かだが、トルクメンの伝統的な技法にこういったパターンがあるようだ。濃い色の布に鮮やかな色で縁取りし、小さな白い目が全体を調和しているのだと思う。
これを十枚刺してもらったら、次は白地のチュナールも用意してある。義母は、白地には赤い色でワンポイントを刺すと言っていた。ラマダン以来、腕から指にかけて痛みがあって仕事が進まないと彼女はこぼしていたが、新たに白い生地を渡して帰ってきたら、さっそく仕事にかかったようだ。彼女は一日5回のお祈りと、食事の時間以外はずっと刺繍をしているんじゃないかというくらい、熱心な刺し手なのだ。80歳を過ぎて、さすがに刺繍の目には歪みも見えるけれど、仕事の早さや色使いの巧みさなど、ほかの刺し手とは一線を画す安定感がある。できるだけ多くの作品を作って、来年東京で紹介したいと思っている。

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イランへの経済制裁

クミシュテペに住んで、三年半が過ぎようとしている。日用品の買物はなるべく地元でしようとしてきたつもりだが、気がついたら身の回りは日本から持ってきたものばかりになっていた。よくもこれだけ運んだものだと、自分でも呆れるほど。
わたしは年に一度、帰国する際には、重量制限ぎりぎりまでモノを運んでいる。それ以外にも、両親や友人に大きな段ボールで小包を送ってもらうことがある。そろそろ地上階の工事が完成しそうなので、このところまたインターネットで買物をして、郵送してもらうために友人の家に品物を送りつけたりしていた。
そこで思わぬ事態に遭遇した。Amazon.co.jp で品物を選んで、「レジに進む」のボタンを押したら、次のような画面が出たのだ。

「輸出規制および経済制裁に関する法律・規制のために、現在の場所からの取引は処理することができません。」とのこと。こんな画面は数日前まで出たことがなかったのに。
「現在の場所」とはつまり、イランのことだろう。イランからは日本のアマゾンで買物ができない。これは「外国からは買物ができない」のではなく、「イランからは買物ができない」のだとわたしは確信している。なぜなら、VPNという技術を使ってイラン以外の国からアクセスする方法を取ったら、問題なくレジで会計ができたからだ。会計ができないのは、イランに対する経済制裁の一環だとういうことなのだろう。
Wikipedia によれば、イランに対する制裁は、「一般的に核兵器、ミサイル、特別な軍事技術などの軍事関連の輸出を禁止し、または、石油、天然ガス、石油化学製品に投資することも禁止している。加えて、イランの金融機関を国際的な取り引きから締め出している」とある。
けれど、この数年イランで生活して分かることは、アメリカやそれに協力する国や企業が理由としている人権侵害や核開発とはなんの関係もない個人の銀行口座に送金ができなかったり、日本からイランの港へは商業貨物を送れなかったり、今回のように個人がアマゾンで買物できなかったり、国民の生活を困難にするようなことが多分に制裁の内容に含まれているということだ。イランにいる個人が Amazon.co.jp で買物することを拒むことに、なんの意味があるんだろうか。また一体それは誰を対象とした措置なんだろうか? イランに住む日本人でもあるわたしにとっては、まったく不愉快な制裁措置だ。
わたしはアマゾンジャパンという多国籍企業に抗議して、そこでの買物をやめることを考える。普段はそういった企業に対する不買運動については、あまり意味を見いだせないので消極的な態度なのだが、今回はそう思わざるを得ない。
ついでに言うと、アメリカは、イランに対するいじめはいい加減にやめにすべきだし、同盟国である日本も自国の立場を再考するべきだ。「国際社会」という曖昧な表現は変えて議論をするべきだ。世界には西欧の大国以外の国も存在するし、どの国もほかの国との関係においてのみこの地球に存在している。イランの核開発を疑って制裁するくらいなら、原子力爆弾を落として大勢の日本人を苦しめたアメリカの主張もよくよく疑ってみるべきだ。どうせこれは正義の問題ではなくて、自国の利益の問題なんだろうけれど、正義を貫かなかったら、それは世界の歴史にしっかり刻まれていくだろう。
歴史は繰り返しているからどうしようもないとも言えるのだが。

窓の問題(続)

コミュニティから再び書状が届いた。例によってまた「48時間以内に窓を撤去せよ」という内容だそうだ。お隣さんがうちに圧力をかけている。ちなみにこのお隣さんは、ロミ夫がひなを食べてしまって、牛乳を買ってくれているお隣さんとは別の家族である。
じつはこの家を建てた当初も、同じことがあったそうだ。8年くらい前の話だが、二階の住居を作り始めたときに、隣に面する窓は造るなという訴えがあったらしい。当時日本に住んでいたわたしが部屋の間取りを考えて、スウェーデンにいるハリルに送り、ハリルがイランの弟に転送して家づくりをしていたのだが、そういう話はちらっと耳にしていた。でもまさかそこまで偏屈な人がいるとは思わないし(甘かった)、窓は採光と換気のために必要なので、床からかなり高い位置につけるよう頼み、お隣さんからの苦情はそれで解決したと思っていた。ところがその後、お隣さんが訴えたので裁判となったようだ。
裁判では、窓が170cm以上高い位置に設置してあるので問題ない、というような内容で、うちが勝訴していた。コミュニティに聞いたところ、その裁判の記録を持ってくれば、「48時間以内に撤去」の命令は取り下げてくれるとのことだった。また幸いなことに、ハリルには裁判所に勤める親戚がいた。彼が当時の記録を探してくれるというので期待していたのだが、ふたを開けてみたら「古すぎて記録が見つけられなかった」という。まあそんなことだろうとは思っていたが、それではあまりにばかげているので、ナーセルに家に残っている書類をなんとか探してくれるよう頼んだ。そして当時の日付が書かれたなんらかの書類が見つかったそうなので、今度はハリルがそれを裁判所に勤める親戚に渡して、例の裁判の書類を見つけてもらう算段だ。まだまだ安心できないが、希望の光は少し見えてきた。お隣さんが2階の窓についても再び言及しているのが、少し気になるけれど。
窓を撤去しなければならなくなった最悪の場合、その判決には従うつもりだが、お隣さんへの報復手段は考えてある。ただし、ひょっとしたら彼らはそれに対する報復も考えているかもしれないので油断がならない。わたしが一番心配しているのは、うちの猫をどうにかされることだ。たとえば猫を殺されても、ここでは日本でネズミを殺されたくらいにしか考えてもらえないだろうし、とにかく猫に手を出されては困るのだ。
うちはクミシュテペに住んで以来、周りと揉めごとにならないよう配慮してきた。けれど、そういう態度はときとして根性の悪い人をつけあがらせてしまうだけだということも分かってきたので、頑として対応しないといけない。ハリルはそう言って、去年は犬に噛まれた件でも飼い主を訴えていた。ところが結果は、飼い主が「クルアーンに誓ってうちの犬じゃない。うちの犬は噛まない」と言ったために、ハリルが裁判に負けた。彼の敷地内に繋がれたその犬の写真もあったのに、理不尽だと思うかもしれないが、イスラム法のもとに裁かれるのでそういうことだ。ちなみにクルアーンは、イスラム聖典のことである。
窓については実際のところ、48時間は何度も過ぎているのだが、とりあえずは何事も起こっていない。早く当時の記録が見つかってほしいと願っている。

クミシュテペ郵便局

日本から送ってもらったはずの郵便物がなかなか届かないので、しびれを切らして郵便局まで出かけてきた。郵便局は、町の中心部にあるロータリーのそばに建っている。ちなみにイランの郵便事業は民営だそうだ。

日本からは、船便をよく利用している。2~3ヶ月かかるのが難だが、クミシュテペ(グミシャン)に届かなかったことはこれまで一度もない。航空便も、友人が送ってくれた郵便物が紛失したことが一度だけあるものの、ほかはほぼ確実に届いている。ただ、郵便物をひとつ受け取るたびに、安くない料金を支払わなければならないのは今でも腹立たしい。それから、外国へ封書をひとつだそうと思ったら、20ドルくらい払わなければならないのもバカバカしい。あまりに高いので、スウェーデンの税務署へ出すべき郵便物を日本に持ち帰って、日本から出したほどだ。たったの110円で、しかも一週間以内に届くので、こういうときにはイランにうんざりしてしまう。でも、きちんと届くだけでもましと考えるべきだ。開発途上国や独裁国には、郵便がまったくあてにならない国はいくらでもあるのだから(イランは中進国だそうだ)。
さて、案の定、郵便物はクミシュテペに届いていた。町外れにあるうちまで何度か届けに来てくれたそうだが、犬たちが吠えて近寄れなかったのだとか。それなら電話してくれたらいいのに、と言ったら電話番号がなかったという。その場で伝えると、壁に貼ってあったポスターの端にメモしていた。次回はまちがいなく電話してくれるだろう。そういえばガスや水道料金の査定も、犬が怖くてうちに近寄れない人がときどきいる。番犬は泥棒対策にはいいけれど、必要な人まで追い払ってしまうのはどうしたものか。


町で一番のケーキ屋さん

郵便局のとなりには、ケーキ屋さんがある。お祝いごととなると、皆この店にお菓子を買いにくるので相当に儲かっていると思う。つい最近、町中にもう一軒ケーキ屋さんが出店したから、今後のこの店の経営に影響するかもしれないが。

上が町の中心にあるロータリーだ。向かいにある道を入ると、クミシュテペの商店街となる。中央通りをずっと歩いても、盛り上がっている店は見当たらない。

ロータリー沿いには、こんな建物もある。干草の倉庫かと思うような外観だが、正面にショーウインドーとドアがあって、携帯電話やスマホを売っている。中心部に空き地すらあることが、クミシュテペの繁盛具合を物語っている。
目ぼしい店もなにもないので、誰かが育てている植木を紹介して終わりです。これらはけっこうイケている(さまざな素材と大きさの植木鉢に注目)。

 

 

自然の日

今日は「スィーズダべダル(自然の日)」だったので、南庭でピクニックをした。といっても、わたしたち老夫婦は食事の用意が整ったところにのこのこと現われただけだが。


晴れてよかった


子羊のケアをするナーセル

ふだん羊は羊、ヤギはヤギで集まりがちだが、一群になるときはヤギがいつも先頭を率いる。ヤギは、羊よりやんちゃな動物のようだ。ところでわたしはいつからか、羊やヤギを肉として見るようになった。生まれたての子羊は「まだ肉がついてない(から食べられない)な」とか、脂がのってきた羊には「おいしそう…」とか。「群れに食べごろのヤギはいるかな?」などなど。さて今日の肉はどんな料理かな? と思ったら、ピクニックのごちそうは魚のフライだった。


お茶を沸かすクンヌック


ハリルの妹


わたしがもらったひと皿

男性は草の上で、女性とこどもは家の中で輪になって食べた。わたしは輪の後ろでヘリに腰かけて食べた。大勢の輪に入って食べることにも慣れたが、勝手に輪から外れることにも慣れたのだった。

スウェーデンから遊びにきている姪たちは、地元のトルクメンと違って犬や猫が大好きだ。ペットだと思っているので、犬の頭を撫でてやったりする。前回来たときまっ黒だった前足の悪い犬は、白い犬だったようだ。ほかの犬たちもみんな元気だったので安心した。

兵役に就いている甥も、予定どおり15日の正月休みで帰ってきた。あと半年で兵役が終わるので、そのあとどうするかで悩んでいるようだった。気持ちよく晴れて、またピクニックの思い出がひとつ増えた。

こどもにとっての困難と強さのもと

前回、肉体労働をして強い肉体と精神を育んだ甥の話を載せたけれど、肝心なことを書き忘れていた。幼少期における困難というのは、彼の場合、学校のほかにしていた家畜の世話だけではない。それ以前に大変だったのは、家が貧乏だったということだ。もらったコメントを読む限り、それなりに伝わっていたようではあるが。
ハリルが三十数年ぶりにイランに帰国したのは、今から14年前のことである。そのとき、ハリルの兄弟はみな十分な収入がない上に子だくさんで、貧しい暮らしをしていたそうだ。兵役に就いている甥の父親は、ハリルの弟ユスフだが、当時ユスフは漁師をして生計を立てていた。小さなこどもが五人もいると、食べていくので精一杯だ。スウェーデンから来ていたハリルは、やせ細って頭に痣のある小さなこどもたちを見て、そのあまりの貧しさに驚いたそうだ。それは、シラミやその他の虫が頭に寄生することによってできるもので、水の質が悪いことや、頻繁に洗えないことに加えて、栄養状態が悪いからだという。ハリル自身もこどもの頃にその痣があって、からかわれたらしい。それが、ハリルがクミシュテペの家族に援助をし、自身も帰ってくるきかっけとなった貧しい家族の状況だった。甥はそんな中に育ってきたので、お腹が空いたり、服や靴がなかったり、みじめな気持ちもたくさん味わってきたのだろう。
一方、こどもにとっての困難は、きつい肉体労働や貧乏だけではない。クミシュテペとは逆に、物質的に満たされすぎている状態や、学校のあとにも塾や習い事に通いまくらなくてはならない状況は、こどもにとって別の種類の困難だと思う。去年だったか、勉強が大変すぎるといって飛び降り自殺した小学生が日本にいたことを思い出す。前回の記事に対して、「幼少期に苦労した人ばかりだと、いわゆる学問とか文化というものの発展が間に合わなくなると思う」というコメントをもらったのだが、それもそうかもしれないと思った。貧しいクミシュテペでは、みんな生きることに精いっぱいで、学問や文化はかなり遠い存在だ。それはそれで問題だけれども、日本の場合、ちょっと反対側に振れすぎている感はあるとも思う。
ただ、人間は適応力が優れているので、ゆるゆるで育った人でも、ひとたび厳しい環境に置かれたら、大半の人はなんとかやってのけるのだと思う。逆もあるだろう。過保護であっても、放任であっても、挫折したら戻ってこれるシェルターのような存在があれば、こどもは強く育つような気がする。そのシェルターは、物理的に家があるだけでは足りないのだけれど。
甥の家族も、未だに貧乏で問題が山積みのようだが、甥が帰るといったらその家族のもとしかないだろう。それが、彼の本当の強みなんだと思う。ユスフの家は、食事中に突然訪ねていっても、自分たちの分からさっと取り分けて、わたしたち二人分の皿を作ってくれるような家族だ。お金を運んでくれたハリルという人に悪くできないというのもあるかもしれないが、他人に対して慈悲を施すという態度が身についている。貧乏が過ぎてまずいことは色々あるとはいうものの、家族や隣人がお互いに寄り添うという態度が自然に育まれるということもある。

幼少期における困難

兵役についている甥がクミシュテペに帰ってきた。11日間の休暇が出たそうだ。イランでは、男性は21ヶ月の兵役に就く義務がある。彼はあと7ヶ月でその軍務が終わるし、あと1ヶ月で新年の休暇をもらえるはずなのに、なぜこの時期に帰ってきたのかと不思議に思っていたら、そのわけをハリルに話していた。
軍の訓練の一環で、30人中選ばれた20人が参加するスポーツ競技があったそうだ。甥は800メートル走で1位、6人制バレーボールでキャプテンを務めるチームが1位、6人制サッカーでキャプテンを務めるチームが1位、綱引きで1位という華々しい成績を上げて、それぞれ3日、2日、2日、2日の休暇を賞としてもらった。またすべての競技を通じてすばらしい活躍をしたため、MVP賞としてだろうか、さらに3日の休暇が追加されたという。合計で12日の休暇となったので、軍は彼が故郷に帰ると思ったそうなのだが、甥はその短い休暇ではお金も時間も足りないから今回は帰らず、二週間の休暇のある新年まで待って、それに加えたいと申し出た。彼はクミシュテペのあるゴレスタン州から遠く離れたケルマン州で任務に就いている。ところが兵役に就いている場合、軍を14日以上離れてはいけないという決まりがあるそうだ。そこで軍は、通常14日間の新年休暇を15日に増やしてくれる約束をした上で、残りの11日を軍から外に出て、アルバイトに当てる時間として使っていいと言ってくれたそうだ。それで故郷に帰ってきて、ナーセルのもとで働いているというわけだった。
20歳になった甥は、ハリルの弟ユスフの長男だ。彼はこどもの頃から、家畜の仕事を始めたユスフの手伝いをして育っている。牛の世話は8歳から始めたそうだ。最初は牛を追う仕事を任され、9歳からは糞の掃除を任された。搾乳を始めたのは10歳前のことだった。10歳になってからはバイクの運転を覚え、自宅から徒歩5~10分にある牛小屋(現在ハリルとわたしが住んでいる場所)までバイクで乗りつけ、一人ですべての作業ができるようになったそうだ。11歳になってからは砂漠でトラクターの運転を練習して覚え、ユスフと一緒に草刈りに出かけるようになった。そうして父親のユスフと一緒に8年間、家畜の世話をしたそうだ。15歳のときには、一人で砂漠へ給水タンカーを運ぶ仕事をしていたのを、旅行で来たわたしも見ている。そして彼が16歳のときにわたしたちが移住してきて、牛の仕事を引き継いだ。
話はここからである。甥に、どうしてスポーツ競技でそんなに優秀な成果をあげられたと思うかと聞いてみた。すると、彼はこう言っていた。
自分はこどもの頃から、体を使って砂漠で生きてきた。羊を追いかけたり、自由に動いていた。マンションに住んでいた人たちとは違うのが分かる。彼らの肉体は弱い。テヘランで兵役に就いているクミシュテペ出身の友人も、バレーボール競技で休暇をもらっている。サッカーでも、ヨーロッパのリーグからオファーのあったトルクメンの選手がいる。知的にも優れた兵士は、地方出身だ。自分はこどもの頃の肉体労働に感謝している。こどもを大事にしすぎる親はまちがっている。はいご飯、はいお茶、かわいいボクちゃん(なでなで)とやってくると、それが当たり前だと思って育ってしまう。困難に接することで、色々と自分で考えるようになるのだ。等々。
「はいご飯…」のくだりは、自分が言われているのかと思いながら苦々しく聞いていたが、20歳でもう親になる準備ができているんじゃないかと思うほど、しっかりとした話ぶりだった。軍隊では、一割くらいの人がついていけなくて脱落するそうだ。脱落すると、刑務所に入らなければならないし、運転免許証もパスポートも発行してもらえないので、その後の人生に大きく不利益を被るだろう。それでもついていけないのだそうだ。身体的に弱い人が脱落してしまうのかと聞いたら、甥は「筋肉なんてどうにでもなる、心が弱いとダメなのだ」と胸のあたりを叩いて説明していた。
ハリルもこの貧乏なクミシュテペ出身だが、運よくいい高校に行き、トルコへ留学し、その後スウェーデン、フィンランド、中央アジアと移って自分の人生を切り拓いていった。留学に十分なお金を親が出してくれたはずもなく、若いときから自分の頭と体を使って生活費を稼いできたのだろう。どの国に渡っても自分で商売をしてきたが、ヨーロッパでの生活は楽ちんだったと言っている。そういえばいつか聞いたことがあるのだが、ハリルもまた自分のこどもの頃の貧乏(による困難)が、自分の財産だと言っていた。

プロフィール

イランのトルクメンサハラに移住した日本人クミコです。中央アジアの少数民族トルクメンの夫と、その家族や動物との日常を綴ります。
2006年にスウェーデンで始めたこのブログは、4回引越をして今に至りました。過去のサイトはリンクより閲覧できます。

連絡先:sabakujin at gmail dot com

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