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砂漠人5

トルクメンサハラの暮らし

   
カテゴリー「本の感想」の記事一覧

平川克美『俺に似たひと』

わたしは去年、祖母と伯母を亡くしたのだが、二人が亡くなる前の数年間の様子を見ていて、色々と思うことがあった。また、日本が超高齢化社会となったことに不気味な不安を感じることもあり、「老いる」ことについて、もっと知りたいと思っている。以前に読んだスウェーデンの小説とは違い、この本は日本で親の介護をした著者の物語だ。非常に示唆に富んだ内容で、同じく「老い」について向き合いたい(若い)人には薦めたい。


著者の平川克美という人は、ウィキペディアによると、日本の実業家・文筆家だそうだ。わたしは偶然、あるサイトの記事で知り、「少子化の原因は家族が変わった(壊れた)ことだ」など、日本の社会についての分析がとてもおもしろいと思い、彼の著書を調べているときにこの『俺に似たひと』を見つけたのだった。
本の内容は期待どおり、年を取ったご両親の生活について、詳細に書かれていた。そして病や老いについての考察がある。わたしがとくに印象に残ったのは次の二つの点だ。
ひとつは、「せん妄」について。著者の父親は、入院してから最期まで、せん妄という状態にあることが多かったようだ。それについて、著者は「疫病利得」という言葉を用いて説明している。
ーー疫病利得ということがあるように、老いにも、それによって得るものもあるはずである。記憶の連続性を失うことで、何かが守られる。端的にいえば、それはひとりになったことの寂しさや、これから先の不安といったネガティブな心の動きを緩和させて、精神の安定を守っているということになるのだろう(p.46)。
ーー俺は、介護の過程で「利得」の意味を強く実感するようになっていった。(略)つまり、元気なときの自分のプライドを守るための症状が、この頃あらわれた「記憶の喪失と断絶」だったのではないか。「老い」もまたひとつの利得でもありうるのだ(p.49)。
ーー(略)最初は、せん妄は一種の逃避機制だと思っていたが、実はもっと自然な身体機能なのだと思うようになっていたのである。
 人間には、生きるためには処理しなくてはならないさまざまな障害や苦痛がある。もっと正確に言うならば、それらの障害や苦痛がもはや処理しきれなくなったときにひとは死ぬのであり、処理できているということは生きているということである。
 障害や苦痛の処理には、ふたつの方法がある。ひとつは、それらを努力や薬品によって肉体の外部へと放出することである。内臓にはもともとそのような機能が備わっている。
 そしてもうひとつの方法は、肉体に障害や苦痛を感じなくさせてしまうことである(P.192)。
ーーせん妄とは、身体的あるいは精神的痛苦に対する最終的な防衛機制であり、生命体が平衡を保つ最後の防衛線として最初から備わっているものなのだ。もしこの機能がなければ、ひとは発狂するか自殺へ走ること以外に、逃避の方途がない(p.193)。
印象に残ったふたつ目は、人間の一生にある転轍点について。著者によれば、人間の一生にはいくつかの転轍点があり、子どもから青年になるところに最初のカーブ、青年期を過ぎて成熟したおとなになる成長のピークのところに、最初の折り返し点がある。そこからこれまでたどってきた旅程を、降り下っていく。季節に例えて、秋だ。そして冬になり、
ーー成熟し、老いていく体と、それを受け入れたり抗ったりする精神が拮抗し、葛藤する。そして、いよいよ最後の転轍点を跨ぎ越すという段になる。
 そこには、それまでの転轍点とは異なった仕掛けがある。再びやり直そうという自分がいなくなっているのだ。自分がこれまでの延長上の自分ではなくなっていることに気づくことができないのだ。だから、この転轍点は知らずに跨ぎ越すほかはない(p.145)。
人生の最期のところはどういうことになっているのか、それを父親の様子と自らの分析によって明らかにしている。そうなのか… と、わたしは新しいことを知ったような気になった。
著者は、父親を介護している時期に、突然の、若い知り合いの死にも遭った。彼が「自分が死んだことすら知らずにいるのではないだろうか」「それは不幸なことなのだろうか。あるいは、老いや死というものを見ずに旅立つことは悪くはないのではないか」などと自問している。「老いのただなかで生活している父親を見ていると、どうしても死への親近感が湧いてきてしまうのである」とのことだ。そう思わせるほど、老いの生活の中にはつらいものがあるのだろう。

要約の仕方が分からないほど明晰な文章なので、心地よく読むことができる本だった。彼の別の本も、必ず読んでみたいと思っている。
最後に、なぜタイトルが『俺に似たひと』なのか、について触れておきたい。解説で、関川夏央がこう書いている。
ともに暮らしてみてわかった。自分は父親によく似ている。「相容れない」と信じたのは、人生の夏を迎えた時期が違っていたからにすぎない。

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フレドリック・バックマン『幸せなひとりぼっち』

スウェーデンの小説を日本語訳で読んだ。この話は2012年に出版され、スウェーデンでベストセラーになって、38ヶ国語に翻訳され、映画化もされているそうだ。わたしは映画を観た人のブログ記事から興味を持って、文庫本を買った。


この本には、妻に先立たれた59歳の男が自殺しようとしている日々が描かれている。男はもちろん簡単には自殺に成功しないのだが、その顛末が綴られる中で少しずつ彼の歩んできた人生が明らかにされていき、同時に妻が亡くなってからはとくに重要でなくなった隣人や他人とのつながりが、次々と築かれていく。
本の前半では、次第に明らかになっていく彼の人生に驚き、同情し、涙が出た。不愛想で頑固な男の言動に、ときにはいらいらしながら読み進めるのだが、しまいには彼という人間が愛おしく感じられ、彼の生き方に尊敬の念を抱いてしまう。
数年前にスウェーデンに少しだけ暮らしたわたしには、話の展開はともかく、小説の細部はリアルに感じられた。「白シャツの男」として描かれる役人のことや、行政のシステムについては、わたし自身も垣間見た内容そのままだと思った。本の中では、アルツハイマーに罹った隣人が強制的に施設に入居させられるまでに、家族が抵抗すれば二年かかるというエピソードとして書かれていたが、スウェーデンでは行政の行った判断について、個人が異議を唱える権利がいかなる場合でも保障されている。書面によって何度も、長期に渡ろうとも、不当だと思う件について、異議を申し立てることができる。しかしながら、ほぼすべての場合、結論は同じ。申し立てが認められて、老人がホームに入居しなくてよいとか、支払うべき税金が減るなどということはまずないのだ。ただ、プロセスとして権利を主張する場面があるというのが、特徴的だと思った。
男の名前は、オーヴェ。原作のタイトルは直訳すると「オーヴェという名の男」となるので、まさにこの話のタイトルにぴったりだと思う。スウェーデンのその時代を実直に生きた男を描くことで、社会の変容ぶりが浮き彫りになっている。「幸せなひとりぼっち」という邦訳は映画のタイトルにつけられたということなので、スウェーデンが世界有数のしあわせな国であると言われていることや、超個人主義社会の孤独を意識した上での訳なのかと思った。
来るべき自分の老後のために参考になった… とは思わないけれど、人生に関するひとつの示唆があったことはまちがいない。社会がどうあるべきか、ということとは別に、自分がどう生きるか、はやはり大事なことだ。オーヴェは自分で食事を用意し、日常を営むことができる。自動車を修理することができ、家を直すことができる。愛想がなくても、iPadがなにかを知らなくても、「すてき」でなくとも、自分の生活に責任をもって、自分で営むことができるひとりの人間だった。

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プロフィール

イランのトルクメンサハラに移住した日本人クミコです。中央アジアの少数民族トルクメンの夫と、その家族や動物との日常を綴ります。
2006年にスウェーデンで始めたこのブログは、4回引越をして今に至りました。過去のサイトはリンクより閲覧できます。

連絡先:sabakujin at gmail dot com

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