クミシュテペに来て以来、経済状況や自然環境など、いろいろなことが悪くなる一方だったので、この先どうやって暮らしていくかはいつも考えていた。二年前に半年ほど日本に住んでみたあと、やはりまだクミシュテペで暮らすのがいいと思い、その後「自分が50歳になるまではここでやってみよう」と決めていたところだった。つまり、あと四年のあいだに様子をみて、見通しが立たないならどこかへ移ることを考えるということだ。でも本当は、クミシュテペで土葬されることについても考え始めていたし、動物たちとの生活こそが自分の人生だとも思えるようだった。
だから、ここを去ることは、不本意なことだ。しかしキャリアを再開して将来の不安を解消する機会が来たのだし、母国へ戻れるのだから、いいことのはずだ。そう考えて帰国の準備に取りかかろうとしている中、ある夜、寝るために玄関を出て二階の寝室へ向かっているときに、突然悲しい気持ちになり、涙があふれ出てきた。玄関のドアを開けると、猫たちがニャーっといって駆け寄ってきたのだ。しばらく撫でてやったりしたけれど、彼らを置いていくことが、わたしにとっては受け入れがたい苦しみだ。先に寝ていたハリルは、泣いているわたしを見て驚いたようで、この大きな変化をわたしが不安に感じていると思ったようだ。「心配するな。いつもそばにいるし、モンゴルのゲルで暮らそう」というようなことを言った。まったく安心できないその言葉がおかしくて、悲しい気持ちが一瞬ふっ飛び、笑いそうになったくらいだ。でもしばらくして、今度はハリルが泣いていることに気がついた。
彼が泣いている理由をよっぽど尋ねようかと思ったけれど、デリカシーに欠けるのでぐっと我慢した。でもそのあとの会話でよく分かった。ハリルは、自分のことではなくて、身を粉にして働いても生活が成り立たないクミシュテペの人々を哀れに思い、彼らの将来を憂い、またトルクメンという民族の置かれた根源的な悲劇を思い、涙が出たのだと思う。それは彼の人生のテーマに深く関わっていることだ。
わたしの悲しみの内容も、犬や猫だけではないけれど、とても簡潔に書けるものではない。希望を持ってハリルの故郷に移住し、なんとかやってきたのに、実りのないうちにここを追われるような状況が、悔しいのかもしれない。そんなこんなで、帰国までわたしの気分は揺れるだろう。しかしこれまで以上にブログに記事を書いて、自分の状況を整理していくつもりだ。
ハリルと出会ってからスウェーデンでブログを始めて、もう十二年になる。初めはハリルのユニークなライフスタイルを記録しようと思い、イランに移ってからは、記事を書くことで、そのときどきの出来事に自分なりのけじめをつけてきたようなところがある。そして今は、砂漠生活の終わりとともに、このブログも終えようと考えている。終えるタイミングは、砂漠を去るときか、まだ書き終えていないハリルの一生についての記事を書き終えたときにしたい。
http://sabakujin.blog.shinobi.jp/Entry/660/砂漠生活の終わりとブログ