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砂漠人5

トルクメンサハラの暮らし

   

バナナブレッドのレシピ



バター 75g
砂糖 125g
卵 1個
小麦粉 250g
ベーキングパウダー8g

バニラビーンズ
完熟バナナ 2本
レーズン 75g

(1)材料を室温に戻し、オーブンを190℃に予熱する。
(2)バターと砂糖をよく混ぜ、卵を加えてさらに混ぜる。
(3)小麦粉とベーキングパウダーをふるい入れ、塩とバニラビーンズも入れる。
(4)バナナを潰し、粉類と交互にボールに加えながら混ぜる。
(5)きつね色になるまで30分くらい焼く。

塩、バニラ、レーズンは入れなくても問題なし。もっとしっとりさせたい場合は、小麦粉を30gくらい減らすとよい。写真は、レシピの1.5倍量で作ったものです(直径24cm、深さ6cm)。

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リストバンド

 刺繍の練習を続けている。以前に、サンプルとして刺したリストバンドの布が余っていたので、その図案をまた刺して比べてみた。

上が以前のもの、下が今回のもの


 微妙だが、少しだけ、しかし確実に上達しているのが自分で分かった。今は、刺す速度を意識して、速く刺すよう心がけている。できれば一日で終えたいと思ったリストバンドは、三日かかってしまったけれど。とにかく刺し続けるのみだ。

チェクディルマ。今日のランチ


 ひさしぶりにバナナブレッドを焼いた。こどもたちに "banana cake" という単語を教えたので、それがどんなものか食べさせたいと思い、高いバナナを買ってきてもらった。いつもの1.5倍の量で作ったら、時間は2倍かかってしまった。



 そういえば、バナナブレッドを始めて食べたのは、こどもの頃、親友のお母さんが焼いたのをもらって食べたときだった。あまりにおいしくて、レシピを聞いたらそのお母さんはコピーをくれたのだった。スウェーデンであらためてよく作るようになり、自分のレシピが定まった。

秀才くん



 ハリルが新鮮な魚を仕入れてきた。いつも砂漠で一緒になるラクダ飼いの知人が漁師を紹介してくれたようで、袋には今朝獲れたチョントリが30匹入っていた。

鱗と内蔵を抜いたところ。内臓を犬猫にやったら大喜び!

 チョントリは、両脇に1~2cm間隔の切れ目を入れることで火を通しやすくして素揚げにし、ごはんと一緒に食べる。揚げたものの写真を撮ろうと思っていたのに、その後に来客があるということになって慌てていたら、その考えはすっ飛んでしまった。
 食事が終わってお茶が沸いた頃、親戚の男性が四人のこどもを連れてきた。自分のこどもが一人、その他三人で、そのうち11歳の男の子が韓国語を習っているというのだ。彼はさっそく、紙にすらすらと韓国語を書いてわたしに見せたのだが、わたしに読めるはずがない。「これは韓国語だからわたしは読めないよ」と言うと、今度は「たのか」とひらがなを書いた。「たのか?」と不審そうに尋ねたら(たぶん「田中」のことだと思う)、その下に "ta no ka" とアルファベットを書いた。学校ではまだ英語をならっていないはずなのに。それから「こんにちは」と書いたり、「北川涼太」と書いて音読し、しまいにはひらがなと漢字を混ぜて「私は十一です」と来たもんだ。
 たまげた。誰に教わったのかと聞いたら、自分で学んだのだそうだ。父親のスマホにアプリがあって、それで覚えたというようなことを言っていたが、彼の集中力がただ事ではないと感じた。一連のやりとりも、わたしがこれまでに見知っているトルクメンの子とはまったく違い、大人と話しているようにスムースだった。この秀才君は今すぐにちゃんとした先生に付くべきだと思ったけれど、とりあえず学年を飛び級して中学・高校を早く終わらせ、テヘラン大学の日本語学科へ行きなさい! とアドバイスした。しかし他の教科も成績が優秀だそうなので、そのうち興味が別のものに移る可能性もあるだろう。とりあえず、わたしは明日、リクエストされたひらがなとカタカナの一覧表をプリントアウトしに行くつもりだ。あんなにたくさんひらがなが書けるのに、体系的に知らないから覚えたいのだそうだ。



 タロ子の息子はだいぶ歩けるようになってきた。猫を追いかけたり、わたしやハリルに向かって走ってくる。
 キティの子猫たちのうち、白っぽい雌猫は少し前に死んでしまった。風邪をひいたようでくしゃみが続き、そのうち元気がなくなって、食卓の下で息絶えた。しかし残っている三匹は元気で、体も大きくなってきている。



タッセル

 長いあいだ刺していた刺繍が、ようやく終わった。日本に一時帰国する前に図案を描いたから、途中で放っておいた期間も含めて三ヶ月以上かかってしまった。

7 x 27 cmの大きさ。何でしょう?

 サロンに吊るしたカーテンを束ねるための、タッセルにした。タッセルのデザインを考えずに長方形の布を用意して始めたので、できあがった後になって困ってしまった。とりあえず裏側にボタンと紐を縫いつけて、カーテンをくるんだあと裏で留めている。




 この模様は、ヨムート族のものだと思って刺したのだが、途中で義母に見せたら「テケ・ナギシュ!」と言ったので、テケ族の模様だったようだ。トルクメンにはいくつもの部族があって、クミシュテペにはヨムートが多く住んでいる。テケは、たとえばトルクメニスタンの首都アシカバットに多く住んでいる。


 鋭い人は気づいてしまったと思うが、図案の比率をちょっとまちがえて刺している。それ以前に、サイズを小さく描いてしまったので、模様を正確に再現することができなかった。模様の大きさは、線で描くチェーンステッチの太さ(1.5~2mmくらい)をもとに計算するため、かなり緻密なものになる。2mmの違いが、全体に大きく影響してしまうのだが、うまいことごまかしたので、そこは力がついたと思う。しかし全体的に「一所懸命刺しました!」という感じで、余裕が感じられないから、まだまだ練習が続きそうだ。作りたいと思って手本にしたのは、下のもの。


 どこのサイトで見つけたか忘れてしまったが、こういった古いトルクメンの刺繍をコレクションしたり売ったりしている人たちがいる。それらの写真をありがたくいただいて、手本にしているのだ。わたしは英語で検索するので、クミシュテペのトルクメンよりも多くの図案を集めることができているようだ。古いものは、生地や刺繍糸が天然のものだから、褪せた色すら美しく表われている。比べてみると、その質の差が歴然としているのが分かるだろう。刺繍の技術はなんとか受け継がれても、生地や糸をつくる産業が廃れてしまっているので残念だ。


市場

 8月が終わる。日々の最高気温は30度を少し超えるくらいまで下がり、40度近かった時期に比べると、だいぶ涼しく感じられるようになった。


 先週の市場は犠牲祭のため休みだったので、今週ハリルははりきってスイカを買ってきた。先々週に買ったものがまだ残っているけれど、これは趣味だからもう仕方がない。


 果物や野菜は洗って水に浸し、温度を下げてから冷蔵庫に入れている。クミシュテペの市場に並ぶ品物の質は一段と下がってきたようで、しかし値段は上がる一方で、まったく困ったことだ。

ぶどうも、2~3年で三倍の値段になった

 ランチは羊肉と豆をトマトで煮込んだゲイメ。ドライレモンも入っている。じゃがいもといんげんは、素揚げにして添えた。面倒になったので、盛りつけはセルフサービスです。




子猫・子犬・庭

 キティが産んだ子猫たちは四匹とも目が開いて、日に日に足を踏み込む力が強くなってきている。おとといは足やおなかを引きずって歩いていたのに、今日は床からのお腹の位置がだいぶ高い。あと一週間もすれば、普通の猫のように歩き回ることができるだろう。今のこの不安定で小さな生きものが、自分の体の上を這いまわるよろこびと言ったら!


 キティは前回の出産と違い、とても上手に子猫を育てている。わたしたちが十分にケアしているからとも言えるが。今週は犠牲祭だったので、店で鶏肉を買う人がほとんどなく、普段は鶏肉屋で買ってくる餌が手に入らない。仕方がないので、キティには羊肉など、人間にとってのごちそうをやったりしている。


 タロ子の息子も、順調に育っている。なかなかのハンサムくんだ。名前はもちろん、タローにした。普段は階段の下に隠れていて、わたしが呼ぶと喜んで出て来るけれど、わたしが1メートル以上離れるとちゃんと階段下に戻って隠れている。

 先日折れてしまった桑の木の枝を、できる限り切って挿し木にしておいた。水に漬けただけの状態なのに葉が出てきて、今日は桑の実までついていた。桑とイチジクは似たような環境で育つようなので、どちらもクミシュテペの気候に合っているようだ。仲の悪い隣の家の「とてもおいしい」イチジクの枝も、ハリルが切ってくれると言っていた。


 しかしよかれと思ってしていた果樹の根元ケアは裏目に出てしまった。根元に置いた枯草が腐って、それが虫にとってもいい環境になっていたようで、気がついたらほとんどの果樹の根元に昆虫が大発生していたのだ。害虫かどうかは分からないものの、あまりに大量なので果樹にとっていいとは思えず、根元に置いていた枯草や棘のある植物はすべて取り除いた。するとそのそばから猫が木に登ったので、慌てて棘だけは戻しておいた。
 猫、犬、鶏、虫、そして強い日差し。それらすべてから果樹を守るのは難しい。ネクタリンの木が大きくなって満足していたのに、ナーセルの家で同じ木が2~3倍の大きさに育っているのを見たら、悲しくなってきた。

「みんなで一つ」の社会(後編)

 午後になると、今度は女性の実のお父さんと思われる男性が来た。彼はもとから微笑んでいるような表情を持った顔で、すでに嬉しそうに見えたが、赤ちゃんを抱いたらより一層、表情が崩れた。あんなに年を重ねた男性が、少ししぼんできたそのからだ全体でしあわせを体現していた。彼は赤ちゃんを手に持ったらよく見て、その額にキスをした。そして赤ちゃんをなかなか手放さなかった。本当に愛しく思ったのだろう。しかししばらくして、警備員に追い出されてしまったようだ。それも当然で、わたしのベッドにはすでに二人のおばちゃんのお尻が乗っているほど、そこは混雑してきていた。
 そんな光景を見たりして、二日間でぼんやりと感じたことは、彼らは「みんなで一つ」なんだなということだ。あれは「彼女の」お産ではなくて、一族全体にとってのお産だったことは確かだと思う。ナーセルの家でも、誰かが病気になると家族全員が病人食のような食事を共有したりしているし、平均的なトルクメンの家族においては「個人」がほぼ注目されていない。しかしなにか出来事があると、それはみんなにとっても出来事となる。何をするにしても「わたしは」どうする、と個人が決断をする必要がなさそうなのだ。
 日本も少し前まではそうだったのかもしれない。けれど、わたしが生まれ育った時代や自分の生い立ちをふり返ると、比較的「わたしは」どう生きたいのかを自分で決めなければならない状況だった。「個」を重んじる西欧型の考え方なのだろう。入院中にオルハン・パムクの『わたしの名は赤』を読んでいたので、その内容とリンクして、東と西の違いについて考えさせられた。小説には、16世紀のイスタンブールの絵師たちが、絵画の伝統的な様式と西欧の新しい様式とのあいだで悩んでいる様子が描かれている。それまで絵師たちは、自分の個性を絵の中に現わしたり、こっそりと署名をしたりすることは良しとされていなかった。また絵をリアリスティックに描くことも、イスラム世界においては、それがやがて偶像崇拝につながるとして禁止されていた。しかしヴェネツィア貴族の肖像画のように、絵の中の人物がたった一人の「その人」を描いていると特定できるほど生き生きと描かれた絵への憧れも抑えきれない。そんな絵師たちの葛藤が伝わってきた。
 トルクメンの中にも、「自分の思うとおり人生を生きたい」と願う若者や大人はきっと数多くいるのだろうが、「みんなで一つ」のこの社会においてはそれを実行したら孤独になるだろうし、このように育った人たちにとってそれは耐え難い人生になってしまうはずだ。ハリルはそれを実践したと思うけれど、彼がそういう意味で孤独になってしまったことは確かだろう。あまりに大きな遠征をしたために、自分が生まれ育った社会とのあいだに、もはや飛び越えることのできない大きな溝ができてしまった。
 同時に、もちろんこの社会と一つになれないわたし自身の状況とその将来に対する不安も、一層強くなった。住む家と食べるものさえあれば、それでも生きていくことはできるけれど、そういった生活基盤が揺らいできているイランのこの経済状況は、深刻だとも言える(しまいにはまたここにたどり着いてしまった!)。
 

プロフィール

イランのトルクメンサハラに移住した日本人クミコです。中央アジアの少数民族トルクメンの夫と、その家族や動物との日常を綴ります。
2006年にスウェーデンで始めたこのブログは、4回引越をして今に至りました。過去のサイトはリンクより閲覧できます。

連絡先:sabakujin at gmail dot com

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